仙台育英・須江監督は采配ミスの連続にも「恐怖に負けて投げ出すわけにはいかない」と信念を貫く (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

「日本一の大阪桐蔭マニア」を自認し、大阪桐蔭を倒すため、東北勢として初めて全国を制するために継投戦略を練り上げてきた。今年の2、3年生19投手のうち14人は最速140キロを超え、なかには入学時から約20キロも球速が向上した投手もいる。

 古川は秀光中出身で、高校2年春のセンバツで先発マウンドに立つほど期待された存在だった。だが、その後は長い低迷期に突入。「こうなったらコントロールを人一倍磨こう」と開き直り、3年夏にかけて状態を高めてきた経緯があった。

 古川は久しぶりの甲子園のマウンドで、喜びを噛み締めていた。

「苦しい時期が長かったので、甲子園の舞台で投げることができる喜びを感じました。2年の時の甲子園は何もわからない状態でしたが、今回は最後なので別の意味の緊張感がありました」

 須江監督の期待に応え、古川は6回表を三者凡退、わずか7球で片づける。

 継投に関して須江監督に迷いはない。むしろ問題は、展開によって大きく左右される攻撃面だった。

 6回裏、先頭の2番打者・住石孝雄(2年)が四球で出塁すると、鳥取商ベンチも動いた。好投してきた山根に代え、エース番号をつけた岩崎翔をライトからマウンドに送ったのだ。

 その瞬間、須江監督は「いくしかないな」と思ったという。

「岩崎くんの鳥取大会での映像を見て、タテの変化球がいいピッチャーだと確認がとれていました。フィニッシュのボールでもあり、初球の入りにも使ってくる。だからここはいくしかないな、と」

 サインは盗塁。初球に岩崎が投じたのは、須江監督の目論見どおり117キロのスライダーだった。二塁ベース上のタイミングは微妙だったが、住石が巧みにタッチをかいくぐりセーフに。攻撃に関して、この試合で初めて須江監督の采配と選手のパフォーマンスが一致した瞬間だった。

 その後は、まるで呪いが解けたように仙台育英の選手たちは躍動した。6回以降の3イニングで11安打を集め、盗塁、スクイズと作戦もことごとく成功。5投手の無失点リレーもあり、終わってみれば10対0のワンサイドゲームになった。

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