聖光学院を「福島の王者」へと押し上げた2つの大敗。初甲子園の惨敗に指揮官は「誰か俺を大阪の海に沈めてくれ」 (4ページ目)

  • 田口元義●文・写真 text & photo by Taguchi Genki

「『甲子園で勝つ』ことを大前提にチームづくりをするようになったんだけど、一番の財産はじつはそこじゃねぇんだよ。生徒らが『甲子園に行きたい!』って、俺とかコーチにガンガン怒鳴られても、その度に泥クソまみれになって這い上がってきながら甲子園にまた戻ってきて勝てたこと。そういう純粋さがあの頃の聖光学院にはあったよね」

 初めて春夏連続出場を決めた2007年も夏に2勝したように、目指すべき野球が洗練され、甲子園で対等にわたり合えるチームを築けるようになった。斎藤はもう、「あの大敗」を口にするようなことはなくなっていた。

 福島県の夏の連覇は、この年から始まった。

「聖光学院に入れば甲子園に行ける」

 憧れを抱く中学生が、県外からも集まるようになった。2年生エースの歳内宏明(元阪神ほか)を擁して優勝候補の広陵(広島)、履正社(大阪)を撃破しベスト8進出を果たした2010年夏のように、スケールの大きなチームを形成できる年も増えた。

 連覇しているがゆえに、慢心が生まれる時期もあった。そんな状況下に置かれたとしても、最終的にチームを一枚岩とさせたのは、いくら実績を残そうと驕ることなく、木鶏の如く泰然自若に構える監督だった。

 初出場の大敗を持ち出すことはなくとも、修羅場や苦闘の経験は血肉となって今も聖光学院のグラウンドに息づいている。

「今年のチームはね、甲子園に出ても『勝てる保証なんてねぇ』って、貪欲に泥臭く、ひたむきに這い上がってきたあの頃の純真さが異様にあるんだよ」

 3大会ぶりのセンバツ出場で1勝を挙げ、春の東北大会でも優勝と成果を重ねながらも、誰ひとりとして満足している選手はいない。

「聖光学院の歴史を変える」

 これが、今年のチームの合言葉だ。最高記録のベスト8を超える──すなわちベスト4。いや、違う。聖光学院が見据えるのは日本一である。

 今の選手たちは、あの大敗後に生まれている。ただ、ひとたび聖光学院のユニフォームをまとえば、強靭なメンタリティーが奮い立つ。斎藤の口から、久しぶりにあの言葉を聞いた。そう、挑戦者としての自己証明。

「あの頃の、『とにかく上に駆け上がっていく!』っていう姿勢がある。下剋上だ」

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