聖光学院を「福島の王者」へと押し上げた2つの大敗。初甲子園の惨敗に指揮官は「誰か俺を大阪の海に沈めてくれ」 (2ページ目)

  • 田口元義●文・写真 text & photo by Taguchi Genki

 この話になると、斎藤は苦笑いを浮かべながらとことん自分をけなす。

「知らない者の弱みだなって。修羅場だの苦しみを経験してもないのに、無責任にモノを言う未熟さ。いま思い出しても笑っちゃうよね」

 根拠のない皮算用。明豊との試合でそれは、すぐに露見してしまった。

 2回に2点を先取された時点で、聖光学院は完全に後手を踏んだ。3回以降も3点、1点、2点、2点。6回が終了した時点で0対10と大勢は決していた。

 斎藤の表情は常に強張っていた。チームのメンタリティーを説く余裕などなく、選手には「耐えろ」としか言えなかった。

「なんで甲子園ってコールドがねぇんだ」

 斎藤の脳裏には、そんなうしろ向きな感情しか浮かんでこない。勝負よりも試合の終わり方ばかりを気にしていた。

「2対10くらいなのかな?」

 この時の斎藤は、監督でありながら無意識のうちに試合を放棄してしまっていた。甲子園の女神に背を向けたチームは8回と9回にも5点ずつ献上し、最終的に0対20。明豊の26安打に対し、聖光学院はわずか4安打。甲子園史に残る惨敗だった。

メンタルだけの野球からの脱皮

「死んでもいい」

 人生を賭してまでたどり着きたかった場所。憧れの甲子園をあとにしてからの斎藤は、真逆の死生観で支配されていた。

「死にたい。誰か俺を大阪の海に沈めてくれ」

 悲嘆が和らぐことなく福島に戻ってきた斎藤は、周囲から労をねぎらわれたというが、それが余計に苦しかった。無様な敗戦を招いた監督は、学校への往復を除けば家から出られなくなっていた。

 甲子園の敗戦から1カ月が経とうとしていた頃だろうか。監督就任直後から哲学書や自己啓発、ビジネス書を好んで読むようになっていた斎藤は、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平著)を手にとっていた。すでに耽読してはいたが、初めて心に染み入るような感覚。表題にある東洋思想の研究者で、佐藤栄作や中曽根康弘ら時の首相たちの指南役を務めた安岡正篤をはじめ、中村天風に孟子、孔子......賢人たちの教えに感情が揺さぶられた自分がいた。

 読破する頃、斎藤は涙が止まらなかった。

「俺がここまで打ちのめされたのは、まだ可能性があるからなんだ」

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