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センバツで初のベスト4。國學院久我山の「学生コーチ」だった尾崎直輝監督の指導理念は「選手のミスは監督の責任」

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

 2022年春、センバツでベスト4まで勝ち進んだ國學院久我山の指揮を執るのは、1990年生まれの尾崎直輝監督だ。

今年のセンバツで國學院久我山を初のベスト4に導いた尾崎監督今年のセンバツで國學院久我山を初のベスト4に導いた尾崎監督この記事に関連する写真を見る 2019年夏に甲子園初勝利を挙げたあと、2021年夏の西東京大会で準優勝。その秋の東京大会で優勝して2022年のセンバツ出場を勝ち取った。そこで初の全国ベスト4入りを果たした今、東京で最も注目される監督と言っていいだろう。

 尾崎監督は自身も同校の野球部に所属していたが、その時は学生コーチ、マネージャーとしてチームを支えた。高校球児としてまったく実績がない尾崎監督は、この若さでどうやって甲子園にたどりつき、春・夏で4つの白星を積み重ねることができたのか。

 尾崎監督は自身の高校時代について、書籍『補欠のミカタ レギュラーになれなかった甲子園監督の言葉』(徳間書店)のなかでこう振り返っている。

「中学時代はセカンドのレギュラーでしたが、高校に入ってスタートでずっこけました。高校野球が大好きで、甲子園に憧れて、純粋に野球が大好きな野球小僧だったと自負していますけど、腰の故障もあって、選手としてはもう無理だろうと思うようになりました。今から15年以上前、チームにトレーナーがいる野球部は少なかったですし、スポーツ医学もいまほど発達していませんでした」

 千葉ロッテマリーンズの監督を務める井口資仁の母校でもある國學院久我山は、甲子園から遠ざかってはいたものの、東京の強豪のひとつに数えられていた。満足に練習ができない選手の居場所はない。退部が頭をよぎったこともある。

「もう野球をやめようかと考えたこともありました。野球ができずにもどかしくて、しんどかった。そんなときに、マネージャー的に動ける人間がいないかという話が浮上し、裏方としてチームに携わることを決意しました」

 ここで野球をやめたら何も残らない。尾崎はそう考えていた。

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