センバツで初のベスト4。國學院久我山の「学生コーチ」だった尾崎直輝監督の指導理念は「選手のミスは監督の責任」 (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

選手の意見を聞こう

 國學院大学に通いながら、尾崎はコーチとして母校の野球部に関わった。大学卒業後に教員となり、23歳で監督に就任した。

「1年目は、『行くぞ、おら!』という感じで、指導をしていました。自分がやっているとおりにやれば強くなれる。今では過信だったと思いますが、そういう自信があって。監督になったからには、自分がそれまで思い描いたことを全部やってやろうと思っていました」

 23歳の若い監督には根拠のない自信と勢いがあった。1年目の夏の西東京大会でベスト4に進出。3年目は「甲子園を狙える」という手応えがあったが、ベスト8で姿を消した。

「僕は若かったので経験もないし、指導力も足りないのに、『選手が練習しないから......』といったことばかりに目がいって。でも、どこかで『おかしいな』とは思っていましたが、指導方法を変えることは難しかったです」

 チームが勝てなかったのは、自分の指導のせいだ。俺の指導を受けて負ける生徒たちがかわいそう......。さまざまな疑問や思いが頭をよぎった。

 監督就任1年目でベスト4に入って掴んだ自信は木っ端みじんに砕け散った。その後も敗北が続いたため、マイナーチェンジをしていったが、根本が変わっていないことに尾崎は気づいた。

「4年目に『選手の意見を聞こう』と決めて、積極的にコミュニケーションを取るようになりました。でも僕は、本心では生徒を信頼していなかった。聞いているつもりでも、途中で我慢できずに、自分の意見を言い出してしまったり......」

選手のミスの責任を取る

 それから1年、2019年夏の西東京大会を勝ち上がり、28年ぶりに夏の甲子園の切符をつかんだ。

「生徒を信じることの大切さを学ばせてもらった大会でしたね。僕が監督になって6年目で甲子園にたどりつけたのは、生徒たちのおかげだと思いました。それまでは、選手たちのことを100%信じていなかったから勝てなかったんだと」

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