履正社の名将が母校・東洋大姫路の監督へ。総工費1億4千万円の室内練習場完成で「全国で勝てるチーム」を目指す (2ページ目)
1977年夏、東洋大姫路がエース・松本正志を擁し全国制覇を達成した翌日の凱旋の報告会を撮ったものだ。陽に焼けたパネル写真からは、湧き立つような高校野球熱、地元民の熱狂ぶりがひしひしと伝わってくる。
「僕はこの時、入学して4カ月ちょっとの1年生。このなかで、ガードマンみたいに人の整理をしていたんです。いま思い出しても、すごい熱気と人の数でしたね。この写真を見ると、もう1回、強い東洋をつくって、OBやファンの人に喜んでもらいたいと思っているんです」
かつての王者も、近年は苦戦が続いている。1970年代、80年代は当たり前だった甲子園は、春のセンバツが今年で14年ぶり。夏は原樹理(ヤクルト)がエースだった2011年を最後に出場していない。真の復活は岡田に託された。
肉体強化と打撃強化
監督就任の要請を受け、大学の代表者と話し合いを重ねるなかで、岡田はひとつの要望を出した。それがトレーニング施設の充実だった。
「履正社での35年で確信したのが、体づくりの重要性。『僕が一番大事な場所と思っていたのがトレーニングルームです』ということを伝えさせてもらいました。高校生が技術を高めるためには、食事、睡眠を含めた体づくりがベースにあってこそです」
履正社もグラウンドに隣接する形でトレーニングルームがあり、深く信頼を寄せるトレーナーの指導のもと、肉体強化に取り組んできた。近年は、体格的に恵まれた選手が入学してくる割合も高まっていたが、効率的かつ、継続的なトレーニングの積み重ねがチームの成績上昇につながったとの思いが、岡田には強くある。
監督要請を受諾し、あらためて東洋大姫路の選手を見ると、いかにも華奢に映った。昨年秋、近畿大会準々決勝の大阪桐蔭と東洋大姫路の試合を見た岡田がまず感じたのは、両校選手の体格差。「大人と子どもほどに感じた」と振り返った。
たしかに、当時の資料を見ると、東洋大姫路のベンチ入り20人中12人が身長170センチ以下で、15人が体重50キロ台から60キロ台。対して大阪桐蔭は、170センチ以下の選手は2人で、体重60キロ台も1人のみ。ほかの出場校と比較しても、東洋大姫路の選手たちは明らかに小柄で軽量だった。
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