甲子園決勝で兄弟校対決の原点。智辯のユニフォームを「朱赤」に変えた男は勝利への執念がすごかった (4ページ目)
藤田の高嶋に対する"圧"は奈良の頃に比べると格段に薄れたが、褒める、労うといったことはなく、ひと息つくことを許さなかった。
1994年にセンバツ優勝を果たし、初めて日本一を達成した高嶋は意気揚々と藤田のもとへ報告に行くと、間髪入れずこう言われた。
「優勝旗は春と夏の2本あるんや。知っとるか」
これに高嶋は「わかっとるわ。勝ったらええんやろ!」と、その3年後に深紅の大優勝旗を手にし、黄金期を築いた。高嶋が振り返る。
「『こいつは褒めたらアカン』とわかったら、次から次に難題を与えて、力を引き出す。完全に見抜かれとったんですよ。ワンマンやったけど、こうと決めたらまっしぐら。すごい人やった。創立当初は落ちこぼれの受け皿のようだった高校を、一代で東大にバンバン入るような進学校にしてね。だから、僕はいつも言うんです。僕がすごいんやなしに、僕を連れてきて鍛えたあの人がすごいんや、と」
藤田は高嶋の甲子園通算勝利の新記録が迫った2009年12月、80歳でこの世を去った。
兄弟対決の決勝が終わってから2時間あまり、球場から出てきた高嶋に話を聞いた。藤田は"2番"が嫌いな人だったが、甲子園の決勝で敗れた時であったも、厳しい言葉を飛ばしたのだろうか。
「甲子園の決勝だけはさすがに負けても『ようやった』と言うたと思います」
ボロカスだった奈良の頃なら?
「あの頃やったら『なに負けとんじゃ!』って言ってきたかもわからんな(笑)。でも、和歌山に移ってからは、甲子園の上位に言ったらなにも言われなかったし、まして今日みたいな智辯対決やったら、負けても『ようやった』と言ってくれたでしょう。僕が和歌山で優勝してからは『はよう和歌山と奈良が甲子園の決勝で戦うところが見たい』って、よく言ってました。だから、今日は喜んどるんやないですか」
史上初の甲子園決勝での兄弟校対決は、藤田の厳しさ、勝利への執念から生まれたのだろう。
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