「ホリエモン球団」の若社長はどんな人? なぜ30歳でいきなりトップに? (3ページ目)
そんな折、今年1月に堀江氏が切り出したのが新球団立ち上げ構想だった。新たに発足する九州アジアリーグの関係者にその話を持ち出したところ、色よい返事をもらった。そこで誰か一緒にやってみないかということになり、槇原は即座に手を挙げた。
ほかに手を挙げたオンラインサロンのメンバーふたりも加わった。真っ先に手を挙げた槙原が社長となり、今年2月、先遣隊としてフランチャイズとなる北九州に移り住んだ。
会社は4月に登記したが、からっけつの状態から始めたためいまだ無給だ。スポンサーが集まり給料が出るようになっても、おそらく自分で商売をやっているほうが実入りはいいはずだ。それでもそんなことはまったく気にならないと槇原は笑う。
これからは1億円以上と見込まれる運営費を集めるためにスポンサー探しの日々が待っている。来シーズンに向けて球場の手配など、やるべきことは山積みだ。
「ここまで来たら、もう進むしかありません。右も左もわからない不安はありますが、幸せを感じて突き進んでいきたいです。九州も初めてですけど、子どもの頃に憧れていた野村謙二郎さん、緒方孝市さん、前田智徳さんは九州出身。なにか縁を感じますね。とにかく今は、北九州を盛り上げたい思いでいっぱいです」
最後に槙原に聞いた。「今が人生のクライマックスなのか」と。
「いえいえ、まだまだ先ですよ」
槙原の旅は、まだまだ続く。
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