「ホリエモン球団」の若社長はどんな人? なぜ30歳でいきなりトップに?

  • 阿佐智●文・写真 text & photo by Asa Satoshi

 話題沸騰の新球団「福岡北九州フェニックス」は、いかにも堀江貴文氏らしいストーリーから誕生した。

 なにかと衆目を集める実業家の"ホリエモン"こと堀江氏が世に出たのは、今から17年前の2004年に起こった「球界再編騒動」の時だった。

 経営難にあえいでいた大阪近鉄バファローズが、同じ関西にフランチャイズを置くオリックスブルーウェーブとの合併協議に乗り出していることが発覚すると、ファンは猛反発。当時集客に苦しんでいたパ・リーグは、さらなる合併のうえセ・リーグとの統合という話にまで膨らみ、球界全体を揺るがす大騒動となった。

 そんな渦中に登場したのが堀江氏だった。当時、IT企業「ライブドア」の総帥だった堀江氏は近鉄球団の買収を申し出たが拒否され、さらに近鉄のオリックスへの吸収合併とパ・リーグの新球団設立という線で落ち着くと、新球団オーナーに名乗りを上げた。

 しかし、これも同じIT企業の三木谷浩史氏率いる「楽天」に軍配が上がり、堀江氏が立ち上げようとした新球団「仙台ライブドアフェニックス」は幻に終わった。

福岡北九州フェニックスの社長に就任した槇原淳展氏福岡北九州フェニックスの社長に就任した槇原淳展氏「うわっ、カープがなくなっちまう」

 17年前、球界再編騒動による合併の噂が日本中を駆け巡っている時、地元球団がなくなるのでは......と慌てふためいていた少年がいた。当時中学生だった槇原淳展(あつのぶ/30歳)だ。休みがあれば福山から電車に乗り、広島市民球場にカープの応援に行くという、ごく平凡な野球少年だった。

 当時のカープはBクラス常連の弱小球団。福岡に本拠地を置くダイエーホークスとの合併の噂に、槇原少年は「あぁ終わったな」と思ったという。そんな騒動の最中に現れた堀江氏の姿にも「激しそうな人だな」という印象を抱いただけだった。

「次の年に(衆議院)選挙があって、堀江さんが広島から立候補したんです。となり町の尾道に来られた時に大騒ぎになって......のどかな尾道が荒れているなって(笑)」

 地元の県立高校に進むと野球部に入り、一塁手としてプレーした。

「公立校なので甲子園を目指すほどではなかったですけど、(地方大会の)ベスト8、あわよくばベスト4までいければって感じでしたね」

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