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大阪桐蔭、チーム崩壊の危機。ナインの鼻をへし折ったセンバツの敗戦 (4ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Nikkan sports

「センバツが始まった頃は、ある意味、無欲だったんです。それが"ノーヒット・ノーラン男"とか言われるようになったもんで、調子に乗ってしまったんでしょうね。『もっといい球を投げたい』と思うようになってから、だんだん調子が悪くなってしまって」

 とくに、和田が追い求めたのがスピードだった。「もっと速い球を投げたい」と、それまでのスリークォーターからオーバースローに近い位置まで腕を上げたことで、投球に狂いが生じるようになってしまった。

 完封はおろか、最少失点で抑えることが当然だった背番号「1」が、簡単に失点を許す。センバツで獅子奮迅の活躍を見せたエースは、いつしか自分を見失っていた。

「『どこから投げればいいんだろう?』って思う時期もありました」

 澤村と和田の不振が際立っていたが、チームも浮上のきっかけをつかめずにいた。ミーティングで「1番の澤村が出て、2番の元谷が送って、3番の井上、4番の萩原で還すといういつもの得点パターンをもう一度しっかりやろう」と話し合っても、改善どころか試合をするたびに危機感が募る。

 センバツ後に行なわれた春季大会準々決勝の上宮戦もそのひとつだ。主将の中村豊、エースの薮田安彦を筆頭に、久保孝之、市原圭、下級生にも筒井壮、西浦克拓、黒田博樹とのちに7人もプロ入りする「タレント軍団」に1−2と惜敗した。

 ただ、チームの副キャプテンでもあった井上は、この負けを前向きにとらえていた。

「正直『上宮、強いな、これじゃあ夏は勝てないだろうな』って思ったんです。そういう意味で、ここで負けたことは大きかったと思います」

 だからといって、この敗戦によって急にチームがまとまり出したわけではない。勝てないことでフラストレーションがたまり、選手同士の小競り合いも目立つようになっていった。

 そんな揉め事の際は、いつもは寡黙な萩原が止めに入ることで収束したという。玉山同様、選手たちから一目置かれていた萩原が同時を述懐する。

「チームの状態は最悪でしたね。『締めないといけない』ってミーティングをやったりしましたけど......練習試合で公立校にもボコボコにやられるくらいでしたから。正直、僕も調子はよくなかったし、そういうものがチームに伝染していったんとちゃうかなって」

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