大阪桐蔭、甲子園デビューから30年。「王者の歴史」はひとりの中学生獲得から始まった (5ページ目)
森岡は井上が打線の中心なら、玉山はチームの核となる存在だと、青写真を描いていた。
「木戸さんの選手をまとめる力、正義感の強さを知る僕にとって、玉山は『個性的なチームをまとめられるとしたら、コイツしかいない』と思っていました」
風は、大阪桐蔭へと吹き始めていた。
井上と玉山の決断。府外の強豪校への進学が内定していた萩原も「井上が行くなら」と、急遽進路を変えた。中学野球でトップクラスの実力を誇っていた彼らに導かれるように、ほかの有望選手も無名校の門を叩いた。誰もが中学時代はチームの主力を張った実力者たち。創部2年目の野球部が本格的に動き出す。
1989年4月。大阪桐蔭に入学してきた精鋭たちを前に、森岡は堂々と言い放った。
「このメンバーで日本一になれんかったら、この先、もうなれないと思って頑張れ」
つづく
(文中敬称略)
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