2020.05.12

智辯和歌山・高嶋元監督の壮絶秘話。
「くそったれ!」精神で築いた甲子園68勝

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

高校野球・名将たちの履歴書
第5回 高嶋仁(智辯和歌山)

 152の島々からなる長崎県五島列島のなかで最大面積を誇る福江島。海、山、空が織りなす美しい風景に特産の椿が香るこの島が、高嶋仁の故郷だ。

 終戦翌年1946年の5月、一家の期待を背負い長男として生まれた。父は製氷機を設置する技術者。ただ、高嶋のなかに残る五島時代の記憶は、常に貧しさが蘇る。

 福江市立福江中学で野球を始めると、3年夏の大会では島に続き、県を制覇。島始まって以来の快挙を実現したのが、急造エースの高嶋だった。

歴代最多の甲子園68勝を記録し、2018年夏を最後に勇退した高嶋監督 もともとは長嶋茂雄ファンの”サード・高嶋”だったが、夏の大会前にエースのケガで投手を任された。本人曰く、「ストライクは入らんけど、試合が終わったらなんか勝っとる。そんな投手だった」ということだが、生来の勝負強さを発揮した。

 中学最後の大会で勝つ喜びを知ると、「オレは野球で勝負する」と心を決めた。

 しかし、家には歳の離れた弟が二人おり、島を出るとなれば金がかかる。悩んでいた高嶋の背中を押してくれたのが母だった。

「お金のことは心配するな。やりたいようにやったらええ」

 高嶋が進学先に選んだのは、長崎市内にある私立の海星高校。高嶋が中学1年の夏に初めて甲子園に出場し、中学3年時には春夏連続出場。当時、長崎でもっとも甲子園に近く、勢いのある学校だった。

 入部当初は1年生だけでも100人以上おり、人数を減らすため、練習中はひたすらグラウンドの外を走らされ、先輩からのしごきも待っていた。理不尽な扱いを受けるたびに辞めたくなったが、そのたびに母を思い出し「くそったれ! こんなヤツらに負けてられるか」と、歯を食いしばって耐えた。