2020.05.11

横浜高校・渡辺元監督が感謝する本塁打
「長くできたのはあの1本のおかげ」

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

高校野球・名将たちの履歴書
第4回 渡辺元智(横浜)

 横浜高監督の渡辺元(はじめ/1997年から現在の元智となる)は、初めてセンバツに出場(1973年)した大会前のある日、ひとりで甲子園球場のフィールドを歩いた。

「ちょうど芝の手入れをしていたのか、グラウンドに入れてくれましてね。初めて甲子園の土を踏み、外野のフェンス沿いをゆっくり歩いて、この看板とあの看板を結んだところに守らせようと考えたり、マウンドにも立ってみたり......感激しましたね」

横浜高を率いて、甲子園で春3回、夏2回の優勝を飾った渡辺監督 この大会で横浜は、小倉商(福岡)との初戦で延長13回に長崎誠が大会史上初のサヨナラ満塁本塁打で勝利すると、投げては新2年生の永川英植(えいしょく/元ヤクルト)が3試合完投と大車輪の活躍。広島商との決勝でも永川が延長11回を1失点完投で投げ抜き、3−1で横浜が初優勝を遂げた。この時、渡辺は28歳だった。

「永川は入った時からすごかった。変化球はからっきしダメでも、とにかくボールが速かった。すごく真面目な男で『走れ』と言ったら、いつまでも走っているんですよ。ただ貧血気味で、肉やほうれん草を食べさせたいんだけど、合宿所の食事はおかずがせいぜい2品。だから、ランニングと称して我が家まで来させ、こっそりと肉を食べさせました。

 この時の大会は、どのチームも"打倒・江川卓(作新学院)"。うちも前年の秋、関東大会の決勝で対戦して、4安打16奪三振と完璧に抑えられました。当時はマシンがありませんから、実際の半分くらいの距離からピッチャーが投げて、とにかく至近距離であの速さを体感しようと。畳を何枚も重ねて、その上から投げさせたりもしました。結局は、その江川くんを倒した広島商と決勝を戦うわけですが、"打倒・江川"の練習が優勝につながったと思います」