2019.11.28

あの北京五輪を彷彿とさせる大熱投。
上野由岐子がレジェンドであり続ける理由

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • photo by Jiji Photo

 2日間で計413球を投げ抜き、日本に金メダルをもたらした11年前の北京五輪を思い起こさせる上野由岐子の”大熱投”を見た。

 11月17日、来年開催される東京五輪のソフトボール会場でもある横浜スタジアムで行なわれた女子ソフトボール日本リーグ決勝トーナメントの最終日。上野は午前中に行なわれた3位決定戦、「中1時間」でプレーボールとなった決勝戦の2試合をひとりで投げ抜いた。

 陽が傾いてきた午後3時12分、上野はこの日投じた計271球目で三振を奪い、ビックカメラ高崎を2年ぶり12度目の優勝へと導いたのだった。

2試合をひとりで投げ抜き、チームを優勝に導いた上野由岐子 1試合目で143球を費やしながら1失点完投した上野は、決勝では12奪三振で完封勝利を挙げた。まるで1試合目が試運転だったと言わんばかりの、驚きの投球内容である。

 ただ、この舞台裏ではさまざまな”想定外”の出来事が起きていた。しかし、上野はそんなことを微塵も感じさせずマウンドで投げ続け、平然とアウトを積み重ねていった。それこそが上野由岐子の凄みであり、”レジェンド”と呼ばれる所以(ゆえん)である。

 上野は何を乗り越え、最後に勝利という栄冠をつかんだのだろうか——。

 そもそも1日2試合というスケジュールは、上野はもちろんチームにとっても回避したかったはずだ。ビックカメラ高崎はリーグ戦1位でトーナメント初日に臨んだのだが、同2位のHONDAに敗れてしまい、優勝するには翌日の3位決定戦、決勝戦に連勝するしかなくなったのだ。そのHONDA戦は若手投手主体で臨み、上野はブルペンで準備をしたが登板はなかった。

 17日の決戦前夜、上野は自分の体のどこが万全でないのかをわかっていた。

「このところ人工芝のグラウンドでプレーすることが多く、体に負担がかかっていたんです。横浜スタジアムのブルペンも土ではなくマットだったので、いつも以上に体の力を入れなければならなかった」

 上野は大事な試合を控える時、必ずと言っていいほど「先生」に体を預ける。

「先生、ちょっと背中の左側のここが……」