2019.12.03

県岐商・鍛治舎監督は猛反対も改革断行。
新ユニフォームに思いを込めた

  • 大友良行●文 text by Ohtomo Yoshiyuki
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 県立岐阜商業高校(以下、県岐商)が、来春行なわれる選抜高校野球大会(センバツ)の出場をほぼ手中にした。

 11月2日、勝てば甲子園が見えてくる秋季東海大会準決勝の加藤学園(静岡)戦。3点リードされた6回表から登板した森大河が好投。チームは8回裏に同点に追いつくと、延長10回裏、一死満塁から多和田尚旗がレフト前にサヨナラ安打を放ち、激闘を制した。

 決勝戦は中京大中京(愛知)に6対9で敗れたものの、甲子園には東海地区から2校が選ばれることが恒例なので、よほどのことがない限り、センバツ出場は間違いないだろう。県岐商の出場が決まれば、高橋純平(現・ソフトバンク)を擁した2015年春以来、5年ぶりの甲子園となる。

 その県岐商を率いるのが、秀岳館(熊本)の監督として2016年春から3季連続で甲子園ベスト4へと導いた鍛治舎巧(かじしゃ・たくみ)だ。

東海大会で準優勝し、来春のセンバツ出場が有力視されている県立岐阜商業・鍛治舎巧監督 鍛治舎は県岐商OBで、1969年のセンバツに4番・投手で出場し、ベスト8進出の立役者となった。その後、早稲田大に進み、1年からベンチ入り。5季連続3割をマークするなど、チームの中心選手として活躍。日本代表の4番も務めた。

 大学卒業後は松下電器(現・パナソニック)に進み、1年目から新日鉄堺の補強選手として都市対抗出場を果たす。1975年には阪神からドラフト2位指名を受けるも入団拒否。1981年に現役を引退し、1987年から5年間、松下電器の監督を務めた。その後は社業のかたわら、少年野球チーム・オール枚方ボーイズの監督として選手たちを指導し、2002年、2008年、2010年と全日本中学野球選手権(ジャイアンツカップ)を制した。

 2014年からは先述したように秀岳館の監督として4度の甲子園に出場し、2018年3月に県岐商の監督に就任した。鍛治舎が、母校の監督に就任した当時のことを振り返る。

「よき伝統がなくなっていました。残っていたのは記録だけ。伝統の重みが閉塞感となり、チーム全体が重圧を感じている状態でした。それを振り払う意味でも、変えられるところは思いきって改革していこうと。毎日の練習に慣れきってしまった選手、無関心のOB、あきらめ顔のファンも含めて、何かきっかけが必要でした」