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クロマティに殴られた男・宮下昌己が語る
地元中学の同級生・荒木大輔 (6ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro

 1983年から1989年までドラゴンズでプレーした宮下は、西武ライオンズに移籍した後、1991年に現役を引退した。プロ9年間の通算成績は117試合登板、9勝12敗3セーブ。現在は米屋を経営しながら、東京青山リトルシニアなどで後進の指導に当たっている。

 ライオンズで2年間プレーしたあと、他球団へのトレードの話があったけど、「もう肩がダメなんで」と言って断って、自分からユニフォームを脱ぎました。

 後から人づてに聞いた話なんですが、大輔が「なんであいつはあんなに早くやめちゃうんだ」と言っていたらしい。それを聞いて、「そうか......あいつより先にユニフォーム脱いじゃったなぁ。無理矢理にでもやっときゃよかったかな」と、少し後悔しました。

 昭和のプロ野球で活躍する選手は、ひと癖もふた癖もある人ばかりで怖い先輩がたくさんいました。でも、大輔は本当に癖のない男で、ずっと優等生。ただただ野球が好きで、ひたすら野球に打ち込んできた。そのストイックさは見習うべきものがありました。大輔と話をするたびに「野球が好きなんだなあ」と感じましたし、本当に野球にすべてを捧げてきた男です。

 一方で、プロとして見た場合、癖のないところが、彼の欠けている部分かもしれないとも思います。よくも悪くも、エピソードがない。絶対におかしなことをやらかさない、隙のない男なんですよ。いじられたり、からかわれたり、そういう扱いを受けたことがないんじゃないかな。そういう意味では、面白味はまったくない。

 オレが言えることじゃないけど、もっと遊び心を持てばと思います。これまできっと、悪さをしたことがないでしょう。ときには、そういうことも必要だと思います。

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