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クロマティに殴られた男・宮下昌己が語る
地元中学の同級生・荒木大輔

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro

証言で明かす、荒木大輔がいた1980年の高校野球
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証言1 宮下昌己 

 1980年夏の甲子園を席巻した荒木大輔。「すい星のごとく現れた」と言われがちだが、リトルリーグでは有名選手で、地元では名前も顔も実力もよく知られた存在だった。

 その荒木と同学年で、同じ調布市立神代中学校に通っていたのが、1982年ドラフト会議で中日ドラゴンズから指名を受けてプロ野球選手となる宮下昌己。のちにウォーレン・クロマティ(読売ジャイアンツ)にデッドボールをぶつけ、その報復としてパンチを見舞われた男といえば、思い出す人も多いだろう。 

 そんな宮下が語る、中学時代の荒木大輔とは――。


中日時代、クロマティ(右)との乱闘でも有名になった宮下(左)photo by Kyodo News中日時代、クロマティ(右)との乱闘でも有名になった宮下(左)photo by Kyodo News

中学時代の荒木大輔はまったく目立たない少年だった

 調布という町自体、野球のレベルが高くて、オレたちの年代の前後で10人くらいがプロ野球選手になっています。川又米利さん(早稲田実業→中日ドラゴンズ)や飯田哲也(拓大紅陵→ヤクルトスワローズなど)とか。

 当時は今ほどリトルのチームが多くなくて、野球のうまい子から、さらに選ばれた選手だけが所属できる感じ。そんなリトルのチームの中でも、調布リトルは特にレベルが高かった。

 調布リトルの帽子をかぶっているだけでステータスがあって、「あいつ、野球うまいんだろうな、すげえんだろうな」と思って見ていました。調布という町では、彼らは神様扱いでしたね。

 大輔はその調布リトルで世界一になっていたから、やっぱり特別でしたよ。日本のチームが世界一になったというのがセンセーショナルだったし、大輔にはそれだけの存在感がありました。中学時代から「大輔はもう早実に行くことが決まってるらしいよ」という噂が流れていました。

 対するオレは中学校の野球部に所属していましたが、そのときから住む世界が違っていましたね。一緒にプレーしたことはありません。

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