優勝候補対決の明暗。雷雨中断の間に履正社、横浜は何をしたか (3ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 藤平がマウンドに上がるまでに、2度の中断があった。特に2度目は3点失った後のピンチの場面。いつ救援のマウンドに上がってもおかしくない状況だといえる。だが、再開直前になっても藤平は肩慣らし程度のキャッチボールしかしていなかった。ブルペンに入らないどころか、投球を想定した平地での強めのキャッチボールもしていない。藤平とキャッチボールをしていた横浜もうひとりの捕手・福永奨は言う。

「石川さんが初回よかったこともあって、(藤平は)準備ができていませんでした。急遽マウンドにいく感じになってしまった。ブルペンに入っていればタイムリーを打たれることもなく、いい雰囲気にできていたと思います。準備が遅かった」

 横浜のブルペンでは初回から背番号11の臼井健雄が投球練習をしていたが、自ら準備をしていた臼井も藤平に準備を勧めることはなかった。

「自分は立ち上がりと(投手が)交代するときはブルペンに入ります。藤平に準備するようには言ってません。石川が立ち上がりよかったので、まだいけるかなと思っていました」

 投手の代えどきについて、平田監督はこう考えていた。

「石川は状態もよかったので、序盤2、3回は石川でしのいで藤平につなごうと。あの段階ではまだ石川続投。まだ(相手打者が)左だったので、2回までは投げさせようと思ってました」

 すぐに代えるかどうかは別として、藤平にいつでも行ける準備はさせておくべきだった。少なくとも、2度の中断でそれをやるだけの時間はあった。結局、藤平は2回が終わり、3回表の味方の攻撃中にブルペンで投球をしている。

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