【自転車】初代キャプテンがTeamUKYOで見つけた「新たな夢」 (4ページ目)
狩野は、今年7月に42歳になる。日本のプロフェッショナルロードレーサーでは、間違いなく最年長の部類に入るだろう。だが、やるべきことは山積している。競技生活に一線を引くことはまだ考えてもいない、と話す。
「(レースを)走りながら教えられることって、すごくあると思うんですよ。たとえば、今のJプロツアーの選手でアムステルゴールドレース(1966年から行なわれているUCIワールドツアーレースのひとつ)を走ったことがあるのは、僕と土井雪広(TeamUKYO所属)が初めて(2005年)で、そのあとも新城幸也(チーム・ユーロップカー所属)や別府史之(トレック・ファクトリー・レーシング所属)、野寺秀徳(現シマノレーシング監督)くらい。まだそんなレベルだから、自分に伝えられることはたくさんある。
成績がついてこないとか、ケガとか、もうモチベーションが保てないとか、辞める人はそれぞれ何らかの理由があると思うけれど、自分の場合は年とともにモチベーションは上がっているし、集団の中で走る力もある。でも、力がなくなればそういうことも言えなくなるから、それ(引退)は必然として考えるでしょうね。
好きで入った世界だけど、プロになるとそれが仕事になるから、好きという要素はどんどんなくなってくる。でも、“好き”ということがどこかしらにないと、絶対に続かない……。だからそんな100ある要素のうち、ひとつもなくなると、もう続けられなくなるんでしょうね。おそらく、サッカーの三浦知良選手(47歳)やスキーの葛西紀明選手(42歳)に訊ねても、きっと同じ回答をするんじゃないですか。
スポーツ選手って、そういうものだと思いますよ」
著者プロフィール
片山右京 (かたやま・うきょう)
1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。
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