【自転車】初代キャプテンがTeamUKYOで見つけた「新たな夢」 (3ページ目)
「シマノからアンカー、アンカーからTeamUKYO……、と培ってきた自分の経験のうち、うまく使えるものは使うし、これからまた新たに考えていくこともあるでしょうね。グリフィンは完全な地域密着型なので、TeamUKYO時代とは違うところも出てくるだろうと思います。前橋市に限らず、高崎市や桐生市など、群馬県全体を視野に入れているので、自転車に親しんでもらうキッズスクールをもっと増やしたり、警察の交通安全教室とは別に、学校の教育プログラムにスポーツ自転車を組み込めないか教育委員会と話をしたり、そういった地元に密着したいろんな自転車活動をしていければいいかな」
今後の活動に向けた狩野の夢は大きく膨らむ。話す口調にも勢いがある。しかし、その熱意の根底にあるものは、日本ではいまだにメジャースポーツ化しない自転車競技をなんとかして広く普及させたい――という、危機感にも似た想いだ。
「僕自身が若いときは、一番上のカテゴリーで世界チャンピオンになることしか頭になくて、トラック競技で世界9位になり、そこからロードを目指して頑張ってたけれど、それから二十数年が経って(自転車競技の)底辺が広がったのかというと……。何度か流行があって、自転車を持っている人は増えたけど、競技人口や知名度はあまり変わってないな、というのが実感なんですよ。だから今、自分が41歳になって、これからできることを考えてみたときに、『(底辺を)広げる活動をできればいいな』というのが最初の考えだったんです。
5年後に東京オリンピックがあるというのに、昔と何も変わらないなんて寂しくないですか? プロチームを立ち上げることで、国体やインターハイ代表などの強化選手を育成する基盤になるだろうし、プロチームを増やして自転車ロードレースをもっと活性化できれば、オリンピックでの底辺の拡大にもつながると思う。僕がやらなきゃいけないのはそこだし、それこそが今の自分のやりたいことなんです」
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