【自転車】初代キャプテンがTeamUKYOで見つけた「新たな夢」
遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~
【連載・第44回】
チーム設立1年目の2012年から2014年まで、TeamUKYOのキャプテンを務めた狩野智也は、今年から新たに地域密着型の群馬グリフィンレーシングを結成した。TeamUKYOで過ごした3年間で、狩野が新たに見つけたものとは?
新天地で新たな夢を追いかける41歳の狩野智也 地域密着型のロードレースチーム・群馬グリフィンレーシングを立ち上げる――。狩野智也が、所属していたTeamUKYOの代表である片山右京に明かし、自身の構想について相談したのは、昨年9月のことだったという。
この構想の現実化は、狩野が故郷・群馬県で地道にコツコツと継続してきた普及啓蒙活動や、地元自転車ショップとの息の長い交流などが礎(いしずえ)になっている。狩野と老舗サイクルショップ「タキザワ」が中心となり、さらに自転車好きの前橋市長とも意気投合して、群馬に本拠を置くサイクルロードレースチームが出来上がった。
片山は狩野の新しい挑戦を快諾し、応援する一方で、2014年のシーズン後半戦もいつでも参戦可能なように準備しておいてほしい、と伝えた。
「自分自身としては、(来季の新チーム結成を伝えた)9月以降はオフにしてもいいのかな......という気持ちもあったんですが、チームから、『今後も(レースに)出てもらう機会があると思うから、準備しておいてね』と言われていたので、いつ呼ばれても大丈夫なように練習を続けていました。
欧州であれば、移籍が決まった選手は以後のレースに出さないことは普通にあり得る話ですが、僕の場合はTeamUKYOの選手として、Jプロツアー最終戦の大分に出場することになりました。1年間、一緒に戦ってきたメンバーを全員走らせてあげたい――というチームの意向もあったんじゃないかな。練習しておいて良かった、と思いました(笑)」
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著者プロフィール
片山右京 (かたやま・うきょう)
1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。