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【自転車】TeamUKYO初代主将が語る「3年間の成長度」

  • 西村章●構成・文 text by Nishimura Akira  五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~
【連載・第43回】

 1973年生まれの狩野智也は、現在41歳の現役ロードレーサーだ。法政大学時代はインカレなどで数々の優勝を収め、大学卒業後は日本舗道レーシングチーム(現NIPPO・ヴィーニファンティーニ)に加入し、欧州のレースを転戦した。日本でも屈指の実力派クライマーとして、2008年にはJプロツアーの前身であるJツアーで総合優勝を果たしている。2012年から2014年までTeamUKYOのキャプテンを務めた狩野に、この3年間を振り返ってもらった。

(前回コラムはこちら)

チーム結成1年目から3年間キャプテンを務めた狩野智也チーム結成1年目から3年間キャプテンを務めた狩野智也 2015年、TeamUKYOは設立4年目のシーズンを迎える。

 このチームが2012年に始動してから2014年までの3年間、一貫してキャプテンを務めたのは、ベテラン選手の狩野智也だ。狩野は昨年いっぱいでTeamUKYOを退団し、今年から新たに地域密着型の群馬グリフィンレーシングを結成した。

 シマノレーシングやブリヂストンアンカーでもキャプテンを務めてきたが、チームの設立から関わったのは、TeamUKYOが初めての経験だった。

「ゼロからのスタートだったので、最初のころは立ち上げならではのいろんなことが毎日のようにあって、右京さんたちといろいろ話をしながら、物事を動かしていくことに自分も携わっているという印象がありましたね。3年間を振り返ると、1年ごとの成長はすごく速かったと思います。日本の普通のコンチネンタルチームなら10年くらいかかるようなことを、たった3年で一気に達成できたと思います。そういう意味では、めまぐるしい3年間でしたね」

 中でも大きな転機は、2年目の土井雪広の加入だった、と狩野は振り返る。

「土井が日本チャンピオンのジャージを着てチームに加入してきたときは、どれだけ戦力が違うか見た目でもハッキリと分かったと思うし、僕がレース中にわざわざ細かい指示を出さなくても、自分からすぐに反応して動ける選手も揃ってきました。結成1年目は、そういったサイクルロードレースなら当たり前のことすら難しい状態だったので、ようやくプロらしく整ってきたのが2年目のシーズンでした。

 ただ、やりやすくなった反面、全員の個性を尊重しながらしっかりとコミュニケーションを取ってまとめていくという意味では、キャプテンという仕事の重要性も痛感した1年でした。とはいえ、その面でも土井がいてくれることはやはり大きくて、レース現場での指揮や日々のトレーニングも含めて、彼がうまくまとめてくれたので、3年目の昨年もそうだったんですが、だいぶ楽にはなりました」

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著者プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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