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【自転車】片山右京「東京五輪が自転車界に及ぼすもの」 (3ページ目)

  • 西村章●構成・文 text by Nishimura Akira 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

 でも、そこで培(つちか)われたものは確実に資産になるし、やがて、文化という財産になっていく。それに、潮が引いた後でも4~5年は余波が続くでしょう。だから、2025年くらいまで日本の自転車界は、ある程度の勢いを維持できるのではないかと思います。ただそこで、少なくともTeamUKYOに関して、忘れてはいけないのが、『何のためにやっているのか、この活動は誰のためになることなのか』ということ。そこがブレると、本末転倒になって、自分たちの存在理由や意義を見失ってしまう」

 だって、僕たちは自転車屋さんじゃないから……と、片山はややはぐらかしたような口調でいう。

「だから、僕たちはクルマもやるし、自転車もやるし、山登りもやるし、サーフィンやカートの応援だとか、子どもたちのチャンレンジスクールもやる。陸前高田の『ツール・ド・三陸』の応援団長だってやるし、もう20年以上も関わり続けている青葉仁(あおはに)会の障害者自立支援活動だって、これからもずっと続けていく。他にも、やりたくてもできなかったことや、声を掛けていただきながら関われなかったこと、今まではそれぞれ点として動いていたものを、今後はTeamUKYOとして関わり、点から線にしてつないでいこうかな……と思っています。それぞれの活動は、自分たちのしなきゃいけないことを一歩一歩やっているだけで、あとはそれをつなげるだけのことだから、別に新たな挑戦でもなんでもない。いわば、正常進化ですよ」

 それにしても、何が片山をこれほどまで、精力的な活動に駆り立てるのか。

 その駆動力の源(みなもと)は、片山が一生忘れることがないであろう、ある体験の中にあった――。

(次回に続く)

著者プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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