【自転車】片山右京「レースに欠かせないマッサーという存在」 (2ページ目)
「自動車関連機器の専門商社に勤めていたんですが、ご多分に漏れず自転車好きで、あるとき自転車雑誌を読んでいたら、欧州にはどうやら、『ソワニョール(Soigneur/フランス語で「セラピスト」の意味)』という仕事があるらしい、と知ったんですよ。マッサージもするし、食事も作るし、クルマの運転もするという、選手のお世話全般。そういう仕事って面白そうだなあ......と思って、脱サラして、本格的に学校に通い、柔道整復師のマッサージ技術や治療技術の勉強をしながら、この世界に時間をかけて入ってきたという格好ですね」
趣味で自転車に乗ることはあっても、当時の森川は、特に自転車レース業界とつながりがあったわけではない。専門学校を卒業するころにネット上で検索して、自転車競技の統括団体や実業団チームのウェブサイトを探し、マッサージャーの仕事を打診するためにメールを送信した。
当然のように、その大半はなしのつぶてだったが、自転車製造業・宮田工業(現・モリタ宮田工業)の『お問い合わせフォーム』に送信したメールから返信が届いた。
返信者は、同社の自転車競技部「ミヤタ・スバル・レーシングチーム」の監督をしていた栗村修氏(現・宇都宮ブリッツェン・テクニカルアドバイザー。テレビ解説や雑誌、ウェブサイトなど多方面で活躍中)。だが、その文面は、「機会があれば、こちらのほうから声をかけさせていただきます」という、体(てい)のいい門前払いだったという。
森川も、「そんなにうまく話がまとまるはずはない」と納得し、整骨院に勤めながら気長に自転車界とつながりのある仕事を探そうと思っていた。しかしその矢先、栗村から再びメールが届いた。
「『憶えていますか?』というようなメールで、『今度、ツアー・オブ・ジャパン(TOJ)でマッサージャーが必要なのですが、もし可能であればお手伝いをしていただければ助かります』という、非常にていねいな文面の連絡でした」
その年――2004年は、毎年6月に行なわれる全日本選手権が4月開催の予定になっていた。その後、実業団レースの群馬サイクルスポーツセンターを経て、5月にTOJという流れになっていたという。
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