注目のマイク・タイソン復帰戦。
絶対マネできない、波乱のしくじり半生 (2ページ目)
1966年、タイソンはニューヨークのブルックリンに生まれる。2013年に出版された『真相――マイク・タイソン自伝』によれば、2歳の時に父親は蒸発し、売春斡旋業を自宅で営んでいた母親は、子守唄の代わりに安物のアルコールを赤ん坊のタイソンに飲ませ寝かしつけた。
7歳の時に移り住んだのが、ブルックリン地区ブローンズビル。当時、ブローンズビルの治安の悪さは群を抜き、現地のジャーナリストによると「80年代、この地域の黒人男性の平均寿命は25歳だった」と言われたほど。幼くして麻薬の売人となるか、薬の過剰摂取もしくは強盗に入った際に撃ち殺されるのが、この町の日常だった。
御多分に漏れず、タイソンも10歳になるとあらゆるドラッグに手を染める。さらに、強盗や窃盗を繰り返し、9歳から12歳の間に逮捕された回数は51回に上った。13歳になる目前には、ニューヨーク市周辺で最も凶悪な少年たちが集まるトライオン少年院に収監されている。
そして、運命に導かれたのか、弄ばれたのか、ボクシングと出会う。もちろん、ボクシングで更生しようと考えたのではない。競技を始めたきっかけは「ストリートファイトで使える」だった。
劣悪な環境で生まれ育ったのは疑う余地はない。だが、自伝によればタイソンは根っからのワルだったわけではない。道を踏み外すきっかけとなったのは、小学1年生、7歳の時。近視のため眼鏡をかけ内向的だったタイソンは、近所の悪ガキの標的だった。
ある日の学校からの帰り道、カツアゲにあったタイソンはアルミ箔で包んだミートボールを奪われまいと抵抗する。すると、悪ガキはタイソンを殴りつけ、さらにかけていた眼鏡を奪い、トラックのガソリンタンクに沈めてしまった。その日を境に、タイソンは学校へは給食を食べるためだけに足を運び、教室へは一度も踏み入れていない。そして、徐々に仄暗い道へ足を踏み入れていった。
力に目覚めたのは11歳の時。大事にしていたハトを目の前で不良に殺された瞬間、臆病で喧嘩など一度もしたことがなかったタイソンは、その男を殴り倒す。以来、ストリートファイトが日常になった。
2 / 5