「脱サラJDグラドル」山田かなの壮絶なバレー部時代。崩壊寸前で「泣きながら練習に」 (2ページ目)

  • 武松佑季●取材・文 text by Takematsu Yuki
  • 田中 亘●撮影 photo by Tanaka Wataru

唯一の真面目な部員? 中学バレー部は「大変な環境」

ーーバレー部でのポジションは?

 まあまあパワーがあったので、1年生の時からピンチサーバーで公式戦に出させてもらってました。ポジションは最初の頃はライト。でも気づいたら身長が一番低くなっていて、中2に上がる頃にはセッターになってました。跳躍力はあったから、セッターだけどブロックを決めることが多かったです。

ーー部長だったそうですね。

 私の学年は部員が6人しかいなかったんです。しかも、私以外、金髪にしたり舌ピアスを開けてくるようなヤンチャな子たち。部活、というか学校すらあんまり来てなくて、ちゃんと部活に出てるのが私だけでした(笑)。

 キャプテンとしてまとめなきゃいけないんですけど、怖いから関わりを避けるじゃないですか。その子たちが学校帰りにゲームセンターに行ってたのがバレた時に、行ってない私まですごく怒られて......。それがバレー部時代の一番の思い出です(笑)。

この記事に関連する写真を見るーー周囲の子たちは練習に来ないけど退部はしなかったんですね(笑)。

 ホントですよ! そんな状態で先生が顧問を降りてしまって、そのあとに入った専門コーチも私に「君だけは真面目にやっていていい子だ!」と言いながら、また去っていきました(笑)。それからはバレー未経験の新任の女性教師と一緒に練習メニューを考えたりしてました。

ーー真面目! その環境で3年間続ける根性がすごいです。

 バレーをやっていて唯一よかったことは、そんな大変な環境を乗り越えられた経験ができたことですね。泣きながら部活へ行ったこともありましたし。でも上級生と下級生がすごくよくしてくれたので救われました。それにバレー自体は好きでしたから。

ーーメンタルが鍛えられた。

 いえ、メンタルは超弱いです。今でも定期的にずーんって落ちることがあります。でもしばらくしたら自己完結して戻ってきます! 本当にメンタルが強い人はそもそも落ち込みませんからね。

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