櫻坂46菅井友香が「ゴリゴリマッチョだった」馬術選手時代。「今でも思い出すと悲しい」出来事で大切なことを学んだ (6ページ目)

  • 佐藤主祥●取材・文 text by Sato Kazuyoshi
  • 立松尚積●写真 photo by Tatematsu Naozumi

ーースイカや砂糖が好きなのは意外でした。世話をするなかでは、どんな作業が大変だと感じましたか? 

菅井
 毎朝、厩舎の中にある馬のお部屋の馬房(ばぼう)を掃除するのが大変で。おがくずやボロ(糞)にまみれた砂を、馬房用の掃除フォークですべてひっくり返して、新しい砂に取り替えるという作業なんですけど。これがかなりの力仕事なので、ものすごく疲れるんです。当時はうまく掃除できなくて、先輩にめっちゃ怒られました(笑)。でも、こういった作業はひとつの命を預かるうえでとても大切なことなので、キツくても根気強く、しっかり馬と向き合わなければいけない。部活を通してその重要さを学びました。 

 実際に馬が亡くなった時に立ち会ったこともあります。馬術競技馬を運ぶ馬運車(ばうんしゃ)というトラックがあるのですが、ある時、移動中に一頭の馬が脚を骨折してしまったんです。馬は脚を1本でも骨を折ってしまうと、その後100キロ以上の体重が他の3本の足にのしかかり、次々と故障が発生して生きていけなくなります。なので、ほとんどの場合は安楽死させなければいけません。その時は本当につらくて。今でも思い出すと悲しい気持ちになります。人間の責任の重大さ、命の重さをすごく学んだ瞬間でもありました。 

ーーコミュニケーションを密に取ってきた馬との別れはすごくつらいでしょうね。 

菅井 私たち人間は、馬とは昔から不思議な関係性ですよね。戦や狩りなど常に一緒に過ごしてきた間柄。現代ではたくさんの乗り物が普及して、馬に乗る機会は減りましたが、それでもスポーツを通じて関係性が続いている。それってすごく意味のあることだと思うんです。きっとそれは、何百年も前から悲しいことがあるたびに支え合い、つらいことを人馬一体となって乗り越えてきたから。絆は今でもつながっているんだな、と私は感じます。 

 だからこそ、馬にとってストレスにならない環境づくりをしていくことが、人間にとって必要で、大切なことなんじゃないかと思うんです。人と馬が触れ合って生きていける、そんな未来がずっと続いていってほしいですから。  

(後編につづく) 

【profile】 
菅井友香 すがい・ゆうか 
1995年11月29日、東京都生まれ。小学5年生の時に友人に誘われ乗馬を始める。中学1年生から馬場馬術に本格的に取り組み、2011年の全日本ジュニア馬場馬術大会チルドレンライダー選手権で2位、2013年の東京都馬術大会M1課目で優勝するなど大会で好成績を残す。2015年に欅坂46第1回オーディションに合格し、アイドル活動をスタート。2020年10月に欅坂46が櫻坂46に改名。現在までキャプテンを務める。

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