大橋悠依が東京五輪競泳でふたつの金メダルを獲得して変わったこと、変わらなかったこととは?
東京五輪での金メダル獲得で多くの人々に影響を与えていることを実感したという大橋さん photo by Nakamura Hiroyukiこの記事に関連する写真を見る
後編:大橋悠依(東京五輪競泳2冠)インタビュー
2021年に行なわれた東京五輪で日本の女子アスリートとして夏季オリンピック初の一大会2つの金メダルを獲得した競泳・大橋悠依さん。昨秋に引退して以降、株式会社ナガセの社員として勤務しながら、東洋大大学院では高校時代から興味を持ち続けてきたスポーツ栄養学を学んでいる。
大橋さんは現役時代、実績を重ねるごとにアスリートとしての強さを増していくが、一方で、決して浮かれることなく、現状の自分に対してプラス・マイナス両面を鑑み、自問し続けている印象があった。
日本女子のエースとして地位を築いても、なお「競泳=仕事」という捉え方が難しかったという大橋さんは、どのような心持ちで競技に臨んでいたのか。
【「少しは浮かれました。でも自分が変わるわけではなかった」】
大学4年で初の日本代表に入ったようにトップスイマーとしては遅咲きの大橋さんだったが、個人メドレーで世界トップクラスのスイマーとなり周囲の見方が変わっても、自分自身を見失うことはなかった。
――2018年に大学を卒業して、競技中心の社会人スイマーとなった当初は、水泳を自分の仕事として認識することが難しかったということですが。
大橋 毎日の練習はきついし、レースもきつい、メンタル的にもすごくプレッシャーがかかることをやっているわけですが、でも仕事なのかと言われるとどうなのかという思いはありました。「泳いでいるだけ」って言ったら言いすぎかもしれませんが、自分が泳ぐことで何かが変わるのか、他人の行動に影響を与えたりするのかということが、当時はあまりわからなかったです。
――それは所属先のイトマンに対して貢献できるのか、ということですか。
大橋 そういうことです。私が速く泳いでいい記録を出したり、日本代表として取材を受けて、記事になって、それを人が読むことでイトマンに行こう、水泳を始めようといった行動が起こるのか。そういうことをすごく考えていた時期もありました。単なる自己満足なのではないかと考えてしまうこともありました。
――真面目ですね。
大橋 でも経験を重ねるうちに、だんだんそういう考え方も少しずつ消化されていって、これ(競技に打ち込むこと)でもいいのかな、みたいに思えるようになりました。
――そう思えるようになったのは、いつ頃ですか。
大橋 やっぱり東京オリンピックが大きかったと思います(個人メドレー2冠)。コロナ禍のなかで開催されたオリンピックで、「泳ぎを見て、感動しました」とか、「何か頑張ろうと思いました」みたいなメッセージをたくさんいただいて、自分がやってきたことが見る人にとって、こういう形になってよかったなと。
――オリンピックの金メダリストになったときには、自分の未来についてはどういうふうに考えていましたか。
大橋 それがすごく難しくて。私は気分屋な部分があって、金メダリストとしてのメディア出演をはじめ、水泳界を盛り上げたり、広めたり、普及するということに前向きなときもあれば、一方で「そこまで求められてもなあ」と思うこともあったりしました。
――例えば?
大橋 金メダリストなんだから、こういうこともやってもらわないと、みたいなことを言われることがいくつかあったのですが、「いや別に、それは私の仕事じゃないし」みたいに思う部分もありました。
私はずっと興味を持っていたスポーツ栄養学をはじめ、いろんな分野に興味があるから勉強したかった。細々と普通に生活をしていきたい自分がいるのに、(金メダリストとして求められることが多く)どうしようみたいな。
――そこは、ブレなかったんですね。よく世界一、五輪金メダリストになると浮かれてしまったり、知らない友だちが増えるらしいですが、どうでした?(笑)
大橋 もちろん、いろんな場に呼んでいただいて、少しは浮かれました。でもだからといって、自分が変わるわけではなかったです。
周囲については、確かに知り合いから、「友だちの友だちが大橋さんの親戚ということなんだけど」とか言われたりはしました(笑)。全然知らない方だったんですけど。
――大学3年生までは苦しい状況でしたけど、大学4年で初代表になって以降、パリ五輪イヤーまで、主要世界大会のなかったコロナ禍の2020年以外は、7年連続で日本代表に入ってきました。
大橋 意外としぶとくいたんです(笑)。コンスタントには泳いでいたなあと。ただ、(現役が)終わってみると、もっと何か思いきってやればよかったなと思います。
――それはどういう意味で?
大橋 現役時代から、ずっと思っていたんですよ。大学時代に高校時代を振り返ると「超ちっぽけな悩みでレースに対して不安になってたな」とか、「インターハイも、もっと思いっきり泳げばよかったな」と思い返したり。社会人になってからは大学時代のことを「あの頃、楽しかったんだから、もっと一生懸命って攻めておけば」と思ったり。
社会人でも一生懸命、毎日切羽詰まる思いでやってきて、すべてをやりきったと思って引退したのに、あとから「すごい細かいことを気にしていたな」とか。あと、今勉強しているスポーツ栄養学を、現役時代にちょっとでもかじっていればもっとよくなっていたのかなとか、思い返すことはあります。
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著者プロフィール
牧野 豊 (まきの・ゆたか)
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。