大橋悠依が東京五輪競泳でふたつの金メダルを獲得して変わったこと、変わらなかったこととは? (3ページ目)
【「興味を持っているものに挑戦してみることは大切」】
――引退後に全く自分とは関わりのなかった道に進むことは、考えていなかったのですか。
大橋 それはなかったですね。やっぱり栄養関係の勉強をしたいという思いを高校時代からずっと持っていたので、競技に区切りをつける時期が見えたことで、そこに集中できるように自分から周囲の方に相談しながら、環境を整えられるよう模索していました。
――いつかは、管理栄養士のような立場で現場のチームに関わるなど、考えているのですか。
大橋 そういう方向も含めて、いろいろ考えています。大学院でも今は修士課程ですが、その後に博士号を取ることも選択肢の一つです。また、水泳の現場に関わるなら管理栄養士の資格を取らないといけない。資格といってもいろんな種類があって、民間のアスリートフードマイスターでも難易度が何段階かに分かれていたり、国際オリンピック委員会(IOC)のスポーツニュートリションプログラムのようなものもあり、それは博士号を取るのと同じくらい難しいと聞いています。
チームに関わる仕事はすごく面白いと思うのですが、ただ、水泳競技では味の素さんから手厚いサポートを受けていますが、個人の管理栄養士がチームに帯同する例はあまり見られないので、どうしようかとか。
――ある程度、やるべきことをやりつつ、いろんな選択肢を模索していく。
大橋 結構、自分の興味が分散していて、スポーツ栄養学だけでなく、スポーツ心理学、スポーツマネジメントにも興味があります。
――最後に。競技に打ち込んでいる学生の方に、進路などのアドバイスがあればお願いします。
大橋 自分も大学3年生の時くらいから考えてはいましたが、正直、明確に将来どういう方向にいきたいかということは決まっていませんでした。ただ、自分が興味を持っているものに挑戦してみることは大切だと思います。そのためには自分自身で環境を整えられるよう、周囲の方々への理解を得たり、準備をしたりしながら、行動することが大切なのではないかと思います。
Profile
おおはし・ゆい/1995年10月18日生まれ、滋賀県出身。彦根東中―草津東高―東洋大―イトマン東進。幼少期にイトマンスイミングスクールで水泳を始める。小〜高校時代まで全国大会に出場し続け、東洋大進学後にトップレベルのスイマーとして台頭。2017年の日本選手権では200m、400m個人メドレー二冠を果たし、初の日本代表入り。以降、毎年主要国際大会に出場し、世界選手権では2017年ブダペスト大会200m個人メドレーで銀、2019年光州大会は400m個人メドレーで銅メダルを獲得。2021年の東京五輪では個人メドレー2冠を達成し、夏季五輪では日本史上初の同一大会で二つの金メダルを獲得した女子選手となった。パリ五輪出場を果たした2024年シーズンを最後に現役引退。現在は株式会社ナガセに勤務する一方、東洋大大学院でスポーツ栄養学を学んでいる。地元・彦根への愛着から、ひこにゃんファンクラブ名誉会長も務める。
著者プロフィール
牧野 豊 (まきの・ゆたか)
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。
大橋悠依フォトギャラリー 私服&現役時代ハイライト
3 / 3