大橋悠依が現役引退後に「スポーツ栄養学」を学び始めた理由:トップアスリートのセカンドキャリア (2ページ目)
【「私は結構、普通の思考なんです」】
大橋さんは中学、高校時代から全国大会で上位に入る成績を収めていたが、決してトップクラスの選手ではなかった。ただ、数々の名スイマーを育ててきた平井伯昌コーチに、水の抵抗の少ないフォームに伸びしろを見出され、東洋大に進学。もっとも最初の2年間はケガやコンディション不良などで、思うような結果を残せずにいた。大学2年時(2015年)の日本選手権200m個人メドレーでは予選に出場した全選手の中で、最下位に終わったこともあった。
その頃、自身の不調の原因を探ると貧血体質であることが判明し、食事面も含めた体質の改善に着手。その成果は徐々に表われ、2016年の日本選手権ではリオ五輪代表にあと一歩及ばなかったが、最終学年の2017年日本選手権では200m、400m個人メドレーで2冠を達成。その2種目で自身初の日本代表となり、夏の世界水泳選手権に出場した。
それ以降、引退する2024年まで日本代表に入り続け(コロナ禍の2020年は除く)、オリンピックに2度、世界選手権にも4度出場して、都合4回、世界の表彰台に登ってきた。
現在、大学院でスポーツ栄養学を学んでいることは、そうした現役時代の経験に起因している部分もあるが、本人はそれ以前から興味を持っていた分野だったという。
――スポーツ栄養学に興味を持ったのはいつごろですか。
大橋 もともとで言えば、大学に入学する前、高校2、3年の頃から興味を持っていました。
大学進学の際も平井先生にその意向を伝えたんですが、当時は栄養関係の学部のキャンパスが群馬県にあり、選手として活動するうえでの物理的な問題で、国際観光学部(国際観光学科)に進みました。
大学4年生で日本代表に入り、卒業後も競技を続ける道が見えてきた時にも、大学院で勉強することを検討しました。今、大学院のゼミでお世話になっている先生は2017年頃から水泳部に来ていただいた方で、いろいろ相談もさせていただきましたが、毎年、夏の国際大会でも長期合宿で日本を離れることも多かったですし、なかなか踏みきれずにいました。
本格的には引退する前年くらいから大学院進学を前提に動き始めた感じです。
――とはいえ選手を辞めて大学院に通うとなると、経済的な問題が出てくると思います。そのあたりはどのような準備をしていたのでしょうか。
大橋 自分が大学院に行きたい意向は引退の2年前ぐらいから(株式会社ナガセの)社長にお伝えして、理解をいただきながら、準備を進めてきました。ただ、給料はいただいていますが、自分がどういうふうに会社に(見合った)貢献していくのかはまだ模索中です。
――でも、特別コーチやイベント等で役割を果たしているのでは?
大橋 自分のなかではまだまだ、です。ここ2カ月は生活環境がガラッと変わったので、ペースがつかめなくて十分に働けてない気持ちが強いです。
――大学を卒業する際、女子個人メドレーの第一人者となりイトマン東進の所属選手として活動することを発表した時も、自分がいわゆるプロ的な形で競技を続けることに戸惑いがある、みたいな話をされていました。
大橋 私は結構、普通の思考なんです。泳ぐことで所属先からお金をいただくので、それが仕事だと言われればそうなのですが、水泳以外の同い歳の人たちとは、どんどん社会経験の面で差が開いていってしまう。こういうやり方でいいんだろうか、その責任を負えるんだろうかみたいなことはすごく考えていました。
――取材を通して感じていたのは、大橋さんはトップアスリートではあるけど、一般の社会人的な考え方を持っている方だなということでした。随所にそういう意味合いのコメントを発していたように思います。
大橋 謎ですよね(笑)、それは私自身も思います。自分の気持ちと、自分がやっていること(競技)の乖離に悩むときがあったというか。ずっと(記録が)伸びていけばもちろんいいですけど、つらいときも多かったので、そういう時には特に悩んでいました。
つづく
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