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【指揮官と箱根駅伝】中央大・藤原正和が一度きりの2区で奪取した区間賞と指揮官として目指すもの (2ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Satoshi Wada

【一度きりの花の2区で見せた覚悟】

4年時は念願の2区でエースらしい走りを見せ、区間賞を獲得した photo by Jiji Press/代表撮影4年時は念願の2区でエースらしい走りを見せ、区間賞を獲得した photo by Jiji Press/代表撮影 一方、チームはこの年から田幸寛史氏がコーチに就任。しかし、前半戦は故障者が相次ぎ、駅伝シーズンに入ると、出雲駅伝は11位、全日本大学駅伝は7位と苦戦が続いた。

「田幸さんも僕に遠慮していたところがあったのでしょう。全日本が終わった日に『腹を割って話そう』ということになり、今のチームに欠けていることや必要なことなど、お互いにいろいろと意見交換しました。箱根はいい形で迎えられそうでした」

 もちろん最後の箱根は、藤原は2区を走るつもりで準備をしていた。ところが、チームは直前にアクシデントに見舞われてしまう。

「5区を予定していた1年生の中村和哉が、直前にインフルエンザにかかってしまったんです。あれが大きな誤算。非常に悔やまれます。5区を予定していた選手が走れなくなった時点で、『藤原、もう1回上ってくれ』って言われたのですが、最後はエゴを通させてもらい、2区を走らせてもらいました」

 12月29日の区間エントリーの時点で、念願の2区に登録されたが、胸中は複雑だった。それでも、いざ本番を迎えると、自分の走りに集中した。

 1区は上位争いが団子状態。先頭と18秒差の9番手でタスキを受けた藤原は、花の2区でごぼう抜きの快走を見せる。

 留学生のオンベチェ・モカンバ(山梨学院大)、高校同期の清水将也(日大)、そしてライバルの松下と先頭争いを繰り広げると、最後は一騎打ちになった松下を突き放し、先頭でタスキリレーを果たした。歴代4位(当時)となる1時間07分31秒の好記録で区間賞も獲得した。

「自分の走りができた喜びと達成感がありました」

 まさにエースの名にふさわしい活躍だった。

だが、会心の走りの中にも、悔やまれる点もいくつかあった。

「2区って、1回目より2回目のほうがタイムが伸びると言われますけど、本当にそうだな、と思いました。清水が入りの5kmを突っ込んで入ったのに、僕は怖くて攻めきれませんでした。

 10kmでモカンバと清水と僕と松下の4人になった時も、すごく余力があったので自分でレースを作ればよかったのに、そこで仕掛ける勇気がありませんでした。それに、権太坂をハイペースで攻めてもよかったなとも思っています。それが、いまだに悔やまれますね。

 三代直樹さんの当時の区間記録は最後の3kmが速いので、自分は20kmまでにタイムを稼ごうと考えてスタートしたはずなのに、(区間記録よりも)その代のエースの称号が欲しいっていう気持ちがどこかにあったのでしょうね。そっちを優先させてしまいました」

「初めての2区」という観点で見れば、藤原の記録は当時の最高タイムだった。タラレバを上げればキリがないものの、もし過去3年間のうち1回でも藤原が2区を走っていたら、ラストイヤーでは途轍もないタイムが出ていた可能性があった。

 もうひとつ悔やまれるのがチームの順位だ。1年生の中村に代わり、急遽5区を担った高橋憲昭が区間19位と苦しい走りになり、チームは往路12位に沈んだ。復路でなんとか盛り返したものの、総合5位にとどまった。

「5区の高橋に渡った時にはやっぱり不安が大きかったです。道中を見ていて、本当に苦しい思いをさせてしまい、申し訳ないなっていう気持ちが大きくなりました。チームも15年ぶりにトップ4から落ちてしまい、主将としても非常に申し訳ない結果になりました」

 今年の箱根駅伝で5区を担った青山学院大のキャプテン、黒田朝日(現・GMOインターネットグループ)の走りを見て、藤原は当時に思いを馳せたという。それは、もうひとつの選択肢、自身が「4年連続で5区を走っていたら」という妄想でもあった。

「僕に黒田朝日君みたいな勇気があれば、もしかしたら、自分もこういうことができていたんじゃないかって思いました。ただ、当時は自分の他に2区を任せられる選手が育っていませんでしたが」

 これもまたタラレバになるが、藤原が5区に回っていれば、それまでにビハインドを背負うことになるものの、その分、箱根山中でごぼう抜きショーが繰り広げられていたかもしれなかった。

 そういった後悔をいくつか口にしながらも、やはり2区を走った経験は、藤原にとって特別なことだった。

「キャプテンをやっていたのもありますし、それまで走りたくても走れなかった区間でしたから。最後に走りたい区間を走らせてもらって、いろんな思いが凝縮された2区でした」

 4年間のうち最も印象深い箱根駅伝を問うと、迷うことなく、最後の箱根駅伝の2区を挙げた。

 箱根駅伝の快走から2カ月後、藤原は3月のびわ湖毎日マラソンで快挙を成し遂げる。一般参加ながら、日本人トップの3位。2時間08分12秒のフィニッシュタイムは、12年ぶりの初マラソン日本最高記録であり、さらには、日本学生最高を1分以上も更新した。そして、その年のパリ世界選手権の日本代表にも選出された(本番は欠場)。

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