【東京世界陸上】女子100mハードル福部真子・中島ひとみが準決勝敗退で胸に刻んだ悔しさと決意「もっともっと世界を目指せる選手に」 (2ページ目)
【12秒台をマークして準決勝へ】
そして迎えた世界陸上東京大会。モーニングセッションの予選第5組で登場した福部は、着順進出の3位に0秒10届かない4位。それでも12秒92で、着順のほか記録上位進出の4名にギリギリ入って準決勝に駒を進めた。福部は安堵の表情でこう振り返った。
「スタートで出遅れた感覚だったし、中盤以降のピッチが上がってこないなかで、海外の選手は力強く前に進んでいく。それでも『離れちゃいけない』と思い、必死に走った一本でした」
一方、第6組の中島は初の大舞台で少し緊張したのか、日本選手権と比べるとキレのない走りながらも順位争いに加わった。結局、同タイムの3、4位に0秒02差の12秒88で準決勝進出を果たした。
「必ず3着以内に入りたいと思っていましたが、かなり混戦でゴールした時には自分が何位なのかも分からない状況でした。満足はしていないけど、初の舞台でこうしたレースをできたのはすごくいい経験になりました」
30歳でやっと届いた世界の舞台について、中島は「初めて着る日本代表のユニフォーム、その重みを初めて知った」と言い、「懲りずに応援してくださる方々がたくさんいるので、そういう人たちの言葉や応援の力が私にとって支えになっていました」と話す。福部とともに、夜の準決勝を戦えることを楽しみにしていた。
【楽しさ、うれしさ、悔しさが混在】
しかし準決勝は、3組上位2着が決勝進出、プラス記録上位で決勝にいけた2名は12秒53までという厳しい条件だった。
「スタートがどうしてもうまくハマらなくて、そこから上げきることもできず最後まで必死に走るのみのレースになってしまい、『何をしに来たんだろう』と思いながらゴールしました」
福部は、13秒06で組7位という結果に、「13秒台で走った事実がすごく重くのしかかってきて、最悪のレースをしてしまった」と悔しさをにじませた。
ただ、この世界陸上で福部は昨年11月に公表した「菊池病」とも闘っていた。準決勝の前日は昼頃に発熱し、夜はひどい頭痛に見舞われ、鎮痛剤を飲んで眠ったという。それでも走るのは、「ひとりでも、私が頑張っていることで『もう少し頑張ろうかな』と思ってくれる患者の方がいればいいし、今まで病気を知らなかった人も『菊池病はこういう病気なんだ』とまずは調べて認知度が高まれば、もっと菊池病の人がすごしやすい社会になると思う」という思いがあるからだ。
「菊池病になった時に『もう終わりかな、代表のユニフォームはもう着られないかな』と思った時期もあり、こうしてまた日本代表として、皆さんに応援してもらえる姿はまったく想像できていなかった。だから準決勝に進めたことも大きな価値というか、『よく頑張ったなあ』と自分を褒めてあげたいと思います。2022年のオレゴン大会では日本新を出したし、パリ五輪では五輪日本人最高記録というおまけも付いた準決勝で、今回は13秒もかかって、いい走りはできなかった準決勝だったけど、自分にとってはオレゴンやパリよりも大きな価値があったなと思います」
結果は悔しいものでも、こう言いきれる世界陸上でのレースだった。
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