検索

五輪2大会連続メダルの有森裕子、小出義雄監督との初対面で言われた「あなたの根拠のないやる気にすごく興味がある」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【「私と松野さんがどれだけ大変だったかわかりますか?」】

 マラソンデビューとなった1990年の大阪国際女子マラソンは、足が痛かったものの粘って走りきり、初マラソンの日本記録(2時間3251秒)を出した。翌1991年の大阪国際女子マラソンでは2時間2801秒と当時の日本最高記録で2位になり、五輪は夢ではなく目標になった。

「夢は夢だから消えてしまうんです。でも、目標は現実に描いているものだから消えないんですよ。その目標に向けて計画を立て、ひとつひとつクリアした先に(1991年)東京世界陸上のマラソン代表があり(4位入賞)、バルセロナにもつながった。ただ、五輪をつかめそうなところに行くと、逆に追いかけられる立場になり、苦しい思いもしました」

 バルセロナ五輪のマラソン女子代表は、東京世界陸上で2位になった山下佐知子(京セラ)、有森の日本記録を更新した小鴨由水(ダイハツ)がすでに決まっていた。ラストの1枠を有森と松野明美(ニコニコドー)が争い、世間を大きく揺るがした。

「この時、マラソンの『選考問題』という言葉がつくられました。選考基準があやふやなのが一番の問題なのに、矛先が向くのは選手なんです。私にはどうすることもできないし、自分で決めたことではないので、なんとも言いようがない。だから、あえて何も言いませんでした。あとで『選ばれたんだからいいじゃない』と言われましたけど、『私と松野さんがどれだけ大変だったかわかりますか?』って感じでしたね」

 正式にバルセロナ五輪のマラソン女子代表に選出されてからは、自分の練習に集中した。1992年、有森はバルセロナの地を踏み、勝負の時を迎えようとしていた。

(つづく。文中敬称略)

中編を読む>>

有森裕子(ありもり・ゆうこ)/1966年生まれ、岡山県岡山市出身。就実高校、日本体育大学を経て、リクルートに入社。1990年に大阪国際女子マラソンで初マラソン日本最高記録(当時)を樹立し、さらに翌1991年の同レースで日本記録(当時)を更新。同年の東京世界陸上で4位入賞。1992年バルセロナ五輪で銀メダルを獲得。その後は故障に悩まされるも、1996年アトランタ五輪で銅メダルを獲得。2007年にプロランナーを引退後は、国内外のマラソン大会等への参加や、『NPO法人ハート・オブ・ゴールド』代表理事として「スポーツを通じて希望と勇気をわかち合う」を目的とした活動を行なっている。また、国際的な社会活動にも取り組んでいる。マラソンの自己最高記録は2時間2639秒(1999年ボストン)。

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。

4 / 4

キーワード

このページのトップに戻る