五輪2大会連続メダルの有森裕子、小出義雄監督との初対面で言われた「あなたの根拠のないやる気にすごく興味がある」 (2ページ目)
【「有森さん? 誰だろう?」】
有森がそう思えたのは高校時代の経験があったからだ。
「中学の時、校内800m競走で3年連続優勝しました。運動会レベルだったんですけど、私はこれならできると勝手に思いこみ、高校では陸上をやろうと思いました。でも、(就実)高校の陸上部は全国大会に行くようなレベル。それを知らずに普通に部活に入れると思ったら(入部条件があって)入れない。それでもあきらめず、『陸上をやりに来たんです』と言い続け、やる気をアピールして粘り倒しました。そうしたら3カ月後、監督がダメだと判断したらすぐにやめるという条件で入れてもらえたんです」
高校3年間、国体、インターハイ(全国高校総体)への出場はなし。全国都道府県対抗女子駅伝では岡山県の代表メンバーに入ったが補欠だった。それでもしぶとく3年間、走り続けた。「あきらめないがんばり」を認めてもらえていたのか、監督からは一度も退部勧告を受けなかった。
「高校入学時同様に実績がなく、都道府県女子駅伝にも出ていない。当たってくだけろみたいな気持ちでいたんです。そんなある日、日体大の同期に『実業団を探している』と話したら、『神戸でインターハイをやっていて、各大学が(高校生の)勧誘で行っているし、実業団も(スカウトに)来ているから、そこでアピールしてみれば』と言われたんです」
有森は神戸に行き、そこで出会ったのがリクルートのコーチだった。当時のリクルートは「リクルート事件」で会社が揺れ、入社を希望する選手も少なかった。有森はコーチに自分の住所と電話番号を書いて渡した。すると、10日後に小出義雄監督から連絡があり、「有森さん? 誰だろう? 会えば思い出すかもしれないので、千葉に来れますか?」と言われた。
「それで(実家のある)岡山から千葉の寮に行ったんですけど、『誰?』って話ですよね(苦笑)。国体もインターハイも出ていない。都道府県女子駅伝も大学3年間補欠でしたと伝えました。普通はそこで断られるはずですけど、監督は『あっ、そうなんだ』と少し困った表情をしていました。最後に『自分は実績も何もないですけど、どうしても今、走りたいんです。指導者や環境があれば走れると思っています。ダメなら自分からやめます。それを伝えたくてここまで来ました』と伝えたんです」
リクルートの陸上部には、のちにトラック種目で五輪に出場する五十嵐美紀、鈴木博美、志水見千子ら有望な選手がいた。その時、小出監督は有森にこう伝えたという。
「ウチには強い選手がいる。ただ、どんなにすばらしい生まれ持った素質、実績、肩書きがあったとしても、一番大事なものはやる気だ。あなたにはそのやる気がある。何の実績もなく、根拠のないやる気にすごく興味があるので、会社にはそのやる気を買ってほしいと言ってみる。会社なので、どういう返事が来るかわからないけど、待っていてくれるか」
有森は99.99パーセント、ダメだと思っていたが、あきらめずに千葉に来て話をしてよかったと思った。そして2日後、リクルートから電話がかかってきて、入社が決定した。
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