祝、100km世界選手権優勝 箱根駅伝を走れなかった男が切り開くウルトラマラソンという世界 (3ページ目)
【1kmのコースをひとりで100周】
アパレル会社での勤務の合間に練習を行なっている。photo by Murakami Shogo
大学卒業を迎えるにあたり、山口はやりたいことを思いつかなかった。そんな折、大学の添田正美監督(当時)とスポーツアパレルブランド「ELDORESO」を展開する株式会社タイムマシーンの阿久澤隆社長が先輩後輩の関係にある縁から、同社への入社を勧められた。
「阿久澤さんから、『タイムを縮めるとかではなく、楽しみながら走ってみないか』と言われたんです。大学時代は走ることで追いこまれていたので、自由に走らせてくれるならと思いましたし、やはり走るのが好きなので、入社を決めました」
2019年3月に大学を卒業すると、4月には市民ランナーとして、自身初マラソンとなる前橋・渋川シティマラソンに出場。山口はレース1週間前に50km走をしてから臨んだ。結果は2時間21分10秒で優勝。その後は山を駆けるトレイルランニングのレースにも出場した。
「マラソンはとりあえず走るみたいな感じで出たら優勝してびっくりでした。トレイルはそれまでやったことがないので、こんな山道を上るんだとか、こんな景色がいいところを走れるんだとか、面白く感じたんですけど、自分は下りが苦手なんです(苦笑)。これを続けていたらケガするな、上りも速くないので上位を目指すのは難しいなと思いました。でも、マラソンは最初に出たレースで結果が出たので、適性があるかもしれないと感じました」
その後もロード、トレイル問わずいろいろなレースに出場する中で、ある手応えを感じるようになった。
「トレイルの70kmレースとかも出たりしたんですけど、やっぱり苦手でした。でも、長い距離はある程度いけそうだなという感覚を発見することができたんです。そこで阿久澤さんと『得意なロードで長い距離はどうだろう』という話になり、ウルトラマラソン(100km)につながっていったのです」
ウルトラを走るからには、練習で自分自身を納得させられなければ走れないと思い、社会人1年目の12月、ひとりで100kmを走ることにした。そこである程度走れたらウルトラをやってみようと考えた。
「1kmの周回コースを100周しました。30kmで用意していた給水がなくなり、しかも、お金を持っていなかったので残りの70kmは給水を我慢して走ったんです。午後2時くらいにスタートして、夜10時ぐらいに終わったのですが、7時間40分で走れたので、手応えは悪くなかったです」
周回コースを単独で100周するとはどういう感覚なのだろう。ペースを把握し、何も考えずに走れるメリットはあるかもしれないが、景色や他ランナーから受ける刺激がなく、モチベーションを維持しにくい。相当メンタルが強くないと走りきれない。
「確かにキツかったですけど、なんとか走れたので、これが100kmを本格的に目指そうと思った最初の走りになりました」
その約2年後、山口はいよいよ100kmのウルトラマラソンに初挑戦する。
後編につづく>>ウルトラマラソンの世界王者・山口純平に聞く 100kmを6時間余りで走るということ「残り30kmからが本当に長い」
■Profile
山口純平/やまぐちじゅんぺい
1997年2月5日生まれ、東京都出身。中学時代にサッカー部とかけもちで陸上競技の大会に出場し始める。山梨学院大付属高校(現・山梨学院高校)3年時には主将として全国高校駅伝出場(4区34位)。国士舘大学に進学し、箱根駅伝を目指すも4年間出場ならず。卒業後はアパレル会社に勤務するかたわら、市民ランナーとして活躍。フルマラソンのベストは2時間16分31秒(2022年東京マラソン)。徐々に超長距離の大会に挑戦するようになり、2023年サロマ湖100kmマラソンで6時間6分08秒の日本記録を樹立。そして昨年12月、自身二度目の出場となる100km世界選手権(インド)で初優勝した(6時間12分17秒)。
著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。
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