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祝、100km世界選手権優勝 箱根駅伝を走れなかった男が切り開くウルトラマラソンという世界 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【箱根を走れなかった大学4年間】

大学4年間は思うように走れず、箱根駅伝のメンバー入りはかなわなかった。photo by Murakami Shogo大学4年間は思うように走れず、箱根駅伝のメンバー入りはかなわなかった。photo by Murakami Shogo

 大学でも都大路のような歓声がある中で走りたいと思った。何より箱根駅伝には興味があった。小さい頃からテレビで見ており、5区を駆けた柏原竜二(東洋大)の走りに強い印象を受け、あこがれた。また、高校時に箱根を走る山梨学院大の選手の付き添いをする機会があり、身近に感じていたこともある。山口は大学でも競技を続けることにした。進学先は国士舘大。高校と同じ場所で練習をする山梨学院大ではなく、異なる環境を求めた。

 大学入学後、山口は順調に練習をこなし、夏には箱根駅伝予選会の出走候補20名が参加する選抜合宿のメンバーに選ばれた。

「夏合宿までは順調でした。でも、そこから大事な(強度の高い)ポイント練習で外したり、レースで結果を出せなくなって......。予選会を走りたいので、ひとつひとつの練習をがんばってやりきっていたんです。そのせいか、いざレースになると、疲れもあって走れなくなってしまった。今考えると本当に弱かったなと思います」

 結局、箱根予選会には出場できず、チームも11位で予選敗退。続く2年時、国士舘大は予選会を突破して本戦に出場したが(総合20位)、山口の出番はなかった。3年時も同様に予選会、本戦(総合19位)ともに出場できなかった。

「2年も3年も夏合宿まではいい感じでいけるんです。でも、そこからポイントになる練習やレースで結果を出せなくて......。例えば5000mを3本というごまかしがきかないような大事な練習があるのですが、そこで(集団と)離れてしまったり、10000ⅿのレースで30分を切れなかったり。なぜ結果を出せないのか、自分なりに考えたのですが、大事な練習やレースになると、緊張して必要以上に構えすぎてしまう。メンタル的に未熟だったんだと思います」

 4年時は箱根出場のラストチャンス。だが、エントリー14名に入った予選会は出走できなかった。また、トラックのレースでも結果を出せず、高3時にマークした5000m143456という自己ベストを大学4年間で更新することができなかった。それでも最後の箱根ゆえに簡単にあきらめることはできなかった。出身地である東京の街をアンカー(10区)として走りたいと思っていたからだ。

 だが、最終的に、箱根のエントリーメンバー16名に入れなかった。レース当日は複雑な思いを抱えながら5区、6区の応援にまわった。

「4年間、自分なりに一生懸命にやってきたつもりだったんですけど、高校の時の自己ベストすら超えられなかった。自分には才能がなく、そこまでの選手なのかなって考えてしまいました。同時に、もっと自分の思うようにやってもよかったかなと。後輩とかはわりと自由に動いていたんですが、チームとしてやっていますし、やりたいことがあっても自分は4年生なのでチームに合わせないといけないと思っていたんです。そうしていたとしても、結果は変わらなかったのかもしれないですけどね」

 国士館大は総合18位に終わった。山口が入学し、箱根に出場できるようになってから毎年ひとつずつ順位を上げてきたが、走りでチームに貢献できなかった。進学時や在学中にお世話になった人への恩返しができず、その悔しさを抱えたまま大学での競技生活を終えた。

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