「3大駅伝の常連校に」中野剛新監督が目指す"強い神奈川大"再建への道 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 選考会の次の日、中野監督は箱根にドライブに出かけた。箱根駅伝のコースを自分の目で確かめるためだった。1998年の第74回大会以降、25年間、優勝から遠ざかり、ここ数年は、予選会で躓いたり、箱根に出場しても低迷が続いている。

――改めて箱根の山を見て来て、何か感じたものはありましたか。

「今年のチームは来年の1月3日で終わりたいと改めて思いました。同時に箱根で戦うには、やはり山が大事だなと。5区は往路の締めですし、6区は復路のスターターです。ここで差を詰められるし、広げられるので、すごく重要です。」

――箱根の予選会突破に向けて今後、神奈川大をどういうチームにしていきたいと考えていますか。

「箱根はもちろん、出雲、全日本と3つの駅伝に出られるチーム、3大駅伝にずっと出続けられるチームを目指したいと思っています。そのためには、指導はもちろん、スカウティングなど、すべきことが山積していますが、学生や支えてくれるスタッフと一緒に目標を達成していきたいと思っています」

 話をしていると、中野監督の再建への情熱が伝わってくる。

 大後総監督が「人としても指導者としても、剛しかいない」と後任を任せた理由が垣間見えた気がした。優しい人柄の中野監督は、学生から『監督』ではなく、親しみを込めて『剛さん』と呼ばれている。中野監督が学生時代、弟を含め中野姓が3名おり、苗字で呼ぶと3人振り返るので、大後先生が名前で呼んでいた。昨年も甥っ子を含め、中野姓が3人おり、それぞれ名前で呼ばれていた。それがそのまま、今も続いている。

「ずっと剛と呼ばれてきたので、『監督』って、今さら呼ばれても変な感じなんですよ」

 中野監督は、そう言って笑った。

 自主性を重んじながら選手へは提案型で打診し、学生主体を崩さずにまとまりや一体感を生むようにしている。これまで足りなかったピースが埋まり始め、今年の神大はかなり勝負強いチームになりそうだ。

■Profile
中野剛(なかのつよし)
1991年神奈川大学入学。2年時には箱根駅伝デビューを飾り、その後も3年時には1区、4年時には2区を担当した。卒業後、佐川急便(現SGホールディングス)に入社。選手として活躍後、2008年に同監督に就任。2021年からは神奈川大学陸上競技部駅伝チームコーチに就任し、2023年に同ヘッドコーチに就任した。

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

【画像】徳光和夫が愛する「巨人」と「箱根駅伝」を語る・インタビューカット集

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