「箱根駅伝に勝つための1レース」國學院大学のエース・平林清澄が振り返る記録づくめの初マラソン初優勝 (4ページ目)

  • 和田悟志●取材・文・写真 text & photo by Wada Satoshi

【地元紙の一面を取る! という思いで】

――優勝を確信したのはどの辺りでしたか。

「ラスト100mを切ったぐらいです。これは、もう来ないだろうと思いました」

――実際には残り700mくらいからキッサ選手を引き離しにかかっています。

「その時は余裕が出てきていたので、もう一段階上げられると思いました。でも、そこから意外に離れなくて......。

 しかも、橋を渡ってから左折するのですが、中継車に釣られて右に行きそうになりました。あやうく"寺田交差点(*)"をするところでした(笑)。危なかった。後で見たら、キッサ選手も右に行きそうになっていましたが...」

*寺田交差点...2011年の第87回箱根駅伝10区で、國學院大の寺田夏生がコースミスした大手町の交差点を指す)

――先頭でフィニッシュテープを切った時の心境は?

「よっしゃー、勝った! ですね。タイムも速かったですが、順位があって、タイムも付いてきたのかなと思っています。

 福井の地元紙で一面を飾れたのもうれしかったです。昨年の夏に1万mで福井県記録を更新した時は記事が小さかったので、いつか絶対一面に載ってやると思っていたので。

 うちのチームの上半期の目標が『出るレースで勝ちきる』なんですよ。それを決めたのは僕ですし、みんなにも言うじゃないですか。その本人が、負けて帰っては面目が立たない。『レベルが高かったから』とも絶対に言いたくなかったし、なんとしても勝って帰りたい。だから、勝ち切ることができて良かったです。

この結果はもちろん自分の評価になりますが、僕としては箱根駅伝で勝つための1レースと考えていました。これでチームを勢い付けられたかなと思います。勢い付き過ぎましたかね!?(笑)」

*    *    *

 主将の平林が自ら"勝ちきる"を体現し、大学生の枠を超えた活躍でチームを鼓舞している。

インタビュー後編に続く

【Profile】平林清澄(ひらばやし・きよと)/2002年12月4日生まれ、福井県出身。武生第五中(福井)→美方高(福井)→國學院大。大学1年時から出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の学生三大駅伝すベてに出場中。昨シーズンは全日本7区で自身初の区間賞を獲得、箱根では2年連続でエース区間の2区を任され区間3位の走りで8人抜きを果たし、チームの5年連続シード権獲得に貢献した。マラソン初挑戦となった今年2月の大阪マラソンでは、2時間06分18秒の初マラソン日本最高記録、日本人学生記録をマークして優勝を果たした。マラソン以外の主な自己ベストは1万m27分55秒15(2023年)、ハーフマラソン1時間01分50秒(2022年)。

著者プロフィール

  • 和田悟志

    和田悟志 (わだ・さとし)

    1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。

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