「箱根駅伝に勝つための1レース」國學院大学のエース・平林清澄が振り返る記録づくめの初マラソン初優勝 (3ページ目)

  • 和田悟志●取材・文・写真 text & photo by Wada Satoshi

【32kmすぎは仮想・箱根駅伝2区の後半!?】

 そして、大阪マラソンのコース最大の難所でもある約32kmの上りで、平林はついに先頭に躍り出る。終盤、平林に食らいついたのは、2時間4分台の自己記録を持ち、世界選手権5位の実績があるスティーブン・キッサ(ウガンダ)ただひとり。最後はキッサとの一騎討ちになった。

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――32kmで仕掛けて先頭に立ちました。

「ここも自分では行ったつもりはないんですよ。自分的には、小山さんを追っていったリズムのまま行った感じです。上りでもペースが落ちなかったからですかね。気づいたら、先頭にいました。先頭に出ちゃったし、後ろに付かれるのも嫌いなので"行っちゃえ!"と思って、そのまま進めました。上ってからは下りでしたし」

――先頭集団を抜け出た場面では、沿道に向けて右手を上げて笑顔も見られました。

「チームメイトの原秀寿がいました。勝負所なので"坂の上にいてくれ"って頼んでいたんです。僕の名前と『バンして』って書いてある応援うちわを持って、秀寿は立っていてくれました。うちわは、一緒に材料を買いに行って、僕の部屋で作ったんです(笑)。

 秀寿は箱根駅伝でも2年連続で(2区の)権太坂で給水をしてくれました。上り坂で秀寿が待っていてくれたので、"ここは権太坂か"と錯覚したくらい、箱根を走っているようなイメージで走れました。でも、37kmでは"戸塚の壁"(箱根2区のラスト3kmの上り坂のこと)を見てしまうわけですが...(笑)。"戸塚の壁"に重ねてしまうと、やっぱり脚にくるんですよ。ラスト5kmで脚が止まってしまい、苦しかったですね」

――笑顔もありましたし、余裕があるようにも見えたのですが。

「そう見えたのは正解ですよ。平林が笑っている時は良い時と思ってもらえたら(笑)。ホクレンDCで1万mのベストを出した時も、めっちゃ笑っていますし、しゃべっていましたからね」

――終盤はキッサ選手との一騎討ちになりました。後ろから離れなかったのは、精神的にもきつかったのでは?

「"前に出てくれ"と思っていました。外国人選手に付かれて、最後に逆転されるというレース展開はよく見てきました。僕はラストのスパート力がないので、最後抜かれるだろうな、と思っていました。だからこそ、早く前に行ってほしかったんですけど」

――わざとペースを落とすなど駆け引きしようとは考えなかったのでしょうか。

「ペースダウンしたら、自分の脚が止まってしまうと思ったので、やめました。真っ向勝負をするしかなかったです。

"後ろを振り向かない"というのが高校時代の監督の教えだったんですが、今回は、久々に後ろを振り返ってしまいました。特に40kmからが怖かった。一度引き離しても、2秒ぐらいの差なら一瞬で返されてしまいますから」

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