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「選手寿命を縮めるとしか思えない練習」月間1200キロを走った青学大・吉田祐也は箱根駅伝初出走で区間新をたたき出した【2023年人気記事】 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun

【練習できているのに、なんでダメなんだろう】

 1年時、青学大は出雲、全日本を制して2冠達成。同期の鈴木塁人(現SGホールディングス)は出雲に出走し、1区5位と堂々とした走りで大学3大駅伝デビューを果たした。吉田は4年間で一度は箱根駅伝を走りたいと思っていたが、チームが次々と駅伝を制覇していくなかで気持ちに変化が生じてきた。

「塁人が出雲に出て活躍したり、チーム内で駅伝の選考をしていたり、山上りをやっているのを見ていると、2年目から3大駅伝のどれかには絡みたいという気持ちが自然と出てきました」

 2年時、同期の鈴木、竹石尚人を始め、1年生の神林勇太ら有力なルーキーが台頭し、吉田は駅伝を走るチャンスを得られなかった。吉田が駅伝の舞台を踏むのは、3年の全日本大学駅伝まで待つことになる。

「初めて駅伝に出るまで長かったですね。僕は、故障して長期離脱することはなかったんですが、逆に練習ができているのにレースで結果が出なくて......。可もなく不可もなくみたいな結果が多く、一発当てるみたいなレースができなかったんです。練習できているのに、なんでダメなんだろうってすごく考えました。ただ、他のチームのエースと比較するとなんかひと押し足りないというのも感じていて、そこは何が足りなのか、すごく悩みました」

 練習ができているのに結果が出ないことは往々にしてあることだ。しかし、同じ練習を積んでいる選手が結果を出していることもあるので、「なぜ?」という気持ちが大きくふくらんでいった。練習では他の選手と同じレベルで走れていても、いざ駅伝になると吉田の名前は外れた。

「もうひと押し足りないのが一体何なのか、わからないままでした。箱根もそうですが、僕はいつも11番目の選手だったので、監督の目には、駅伝に出すには不安要素があると思われていたんだと思います。実際、自分では認めたくなかったですけど、他の選手と自分を並べてみると、自分でもこの選手のほうが強いよなって思っていたので納得するしかなかったですね」

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