箱根駅伝で「ありえないことが起きた感じ」 駒澤大の新主将、篠原倖太朗が明かす「チームが大きく崩れた部分」と新スタートへの抱負
悔しさをバネに新主将としての決意を誓う篠原倖太朗 photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る
【果たした責任と課題の残った内容】
先日行なわれた箱根駅伝で他校が往路に主力を注ぎ込んでくる中、史上初となる2年連続学生駅伝3冠達成のため、駒澤大が当日変更で1区に送り込んだのが篠原倖太朗(3年)だった。ハーフマラソンでは昨年2月の丸亀ハーフで1時間00分11秒の学生記録を樹立し、1万mも11月に27分38秒66を出している。大会前から起用が噂されていた駿河台大のスティーブン・レマイヤン(1年)が当日変更で1区に起用されたことで、藤田敦史監督は「篠原がいるぶん、うちにとっては有利になった」と考えた。
レースはレマイヤンが序盤から抜け出し最初の5㎞を14分00秒で通過したあたりから、篠原がそれに反応。篠原はライバルの青山学院大と國學院大を15㎞手前から離すと、六郷橋(17kmすぎ)の手前でレマイヤンを振り切って独走態勢に入り、1時間01分02秒で区間賞を獲得し期待に応えた。だが、終盤は思ったよりタイムが伸びきらず、2位に上がった創価大とは23秒差。國學院大には1分33秒差をつけたが、追いついてきた集団をうまく利用した青学大は35秒差。青学大には2区で差を詰められ、3区で逆転される結果になった。
「チームとしては負けてしまい、本当に悔しい結果になってしまいました。個人としては区間賞を目標にしていたわけではないですけど、1位でつないで最低限、及第点はあげられるかなとは思います」
こう振り返る篠原だが、その内容については納得している様子ではなかった。
「タイムでより必要なのは、自分の成績よりやっぱり後ろとの差だったと思います。前で渡せばいいと言われてはいたけど、(2位とは)40秒ぐらいは開けたかったですね。実際に走っていてもう少し後ろが大きく崩れているかなと思っていました。國學院大は離れたけど、青山学院大の荒巻(朋熙)くんには後ろから集団がうまくついてきたと思います」
青学大と國學院大が離れた15㎞過ぎから、自らがもう一段ペースを上げられなかった理由は「ハーフを何本も走っていて、15㎞過ぎから大きく崩れるイメージが自分の中であったのであまり攻めることはできなかった」という。
「やはり駅伝だし、後ろに強い仲間たちが控えていたこともあります。攻めるというよりはつなぐのが駅伝なので、そこは確実に行ったけどあまり吉と出なかったですね。終わった後の話になってしまいますが、もう少し攻めないといけなかったなと思うし、作戦も甘かったと思います」
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。