駒澤大・佐藤圭汰、箱根駅伝の屈辱をバネに5000m室内日本最高記録を樹立「大学での一番の目標は、やはりパリ五輪」
取材後に渡米し、快走を見せた佐藤圭汰 photo by sportivaこの記事に関連する写真を見る
【距離への不安】
今年の箱根駅伝では後続を突き放す役割を担って3区に起用された駒澤大の佐藤圭汰(2年)。しかし青山学院大の太田蒼生(3年)に差を詰められ、逆転を許すことに。その結果、後続でのライバルの快走に拍車をかけるきっかけになってしまった。佐藤はあらためて、自身の走りを悔しさとともに振り返る。
「絶対に区間賞を獲って後ろとの差を広げてタスキを渡したいという思いがあったので、本当に悔しい気持ちでいっぱいです。(3区スタート地点での駒大のリード)22秒差に安心していたわけではなく、『詰められても抜かれるまではいかないだろう』と思いながら走っていたら、まさか10㎞に行くまでに(7.6km近辺)追いつかれてしまって。焦りがすごく大きかったし、終わった直後は驚きの方が強かったです」
決して走りが悪いわけではなかった。最初の5㎞は14分00秒で入ったが、それは設定どおりだった。
「これまでのデータを見ても、1時間00分55秒の日本人最高記録を出した丹所健さん(東京国際大・2022年大会、現・Honda)は5kmを13分45秒ぐらいで入り、後半失速していました。だから自分は13分40秒台で入るのではなく、ゆとりを持って13分55秒から14分00秒の間ぐらいで入って後半しっかり上げていこうと、藤田(敦史)監督や大八木(弘明)総監督とも話していました。その通りに行けたけど結果としては前半で20秒以上詰められたので、完全に力負けした感じです。
高校時代は駅伝でも序盤からガンガン行ったけど、高校のレベルと大学のレベルは全然違う。また、21㎞という距離なので最初に突っ込みすぎてしまうと後半に止まってしまう。結果として遅かったですね。あんまり言ってなかったんですけど、やっぱり20㎞という距離には結構不安がありました」
佐藤にとって、今回が初めての20㎞超のレース。これまでのトラック、駅伝での圧倒的な強さからみると、周囲からはあまり見えづらかったが、本人の中では距離は大きな不安材料となっていた。
大学1年目の前回大会も3区を走る予定だったが、直前の体調不良で回避した。
「去年も準備はしていましたが、いざ見るだけとなった時は、悔しい気持ちがありました。今回は実際に走ることができたけど、自分のところで抜かれてしまったので悔しいです。箱根は2年続けて悔しい思いをする大会になりました」
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。