バスケ→走高跳→走幅跳で「17年ぶりの日本記録更新」 一度は「普通の大学生活を送りたい」と考えた秦澄美鈴が歩んだ異色の道のり (3ページ目)

  • 荘司結有●取材・文 text by Yu Shoji
  • 村上庄吾●撮影photo by Murakami Shogo

【パリ五輪参加資格も得た歴史的ビッグジャンプ】

 2021年に控えていた東京五輪。この東京大会から五輪としては初の「ワールドランキング制」が導入され、参加標準記録を突破できずとも、各試合の結果をポイント換算するワールドランキング上位に入れば出場資格を与えられる仕組みが設けられた。

 秦はこのランキングによる代表入りを見据えていたものの、ターゲットナンバー(出場枠)である32位の選手との差は約30ポイント。37位で出場権獲得は叶わなかった。

「その時は『どのくらいのポイントを取れば出られるのか』という目安もわからなかったので、自分の中で楽観的に捉えていた面もありました。本来だったら海外の試合に積極的に出て、ポイントを稼ぐべきだったのですが、なんとなく避けていたところもあって。結局、代表入りを逃してしまい『受け身じゃ世界は無理なんや』って。出られたかもしれない舞台を取りこぼしてしまったことへの後悔と責任を感じました」

 東京五輪のシーズンで感じた反省を生かし、オレゴン世界選手権が控える翌年は、より確実な参加標準記録(6m82)の突破を見据え、春先から着実に記録を残していった。結果的に標準記録には届かなかったものの、ポイント制でランク付けされるワールドランキングにより、自身初の世界大会の切符をつかみ取った。

 女子走幅跳では日本人6大会ぶりの出場を果たした秦。オレゴン世界選手権は全体20位に終わり、悔し涙を流した。「世界で戦いたい」と迎えた今季は静岡国際で6m75の自己記録を跳び、ファールながら7m近いジャンプを何度も披露。国内大一番の日本選手権ではブダペスト世界選手権の参加標準記録に届かなかったものの、ワールドランキングによる代表内定は濃厚なものとなっていた。

7m00まであと3cmに迫る 写真提供:シバタ工業株式会社7m00まであと3cmに迫る 写真提供:シバタ工業株式会社この記事に関連する写真を見る

 そして迎えた7月のアジア選手権。タイ・バンコクのピットに立った秦は、最終跳躍で6m97をマーク。白旗が上がり、記録が確定すると、全身で喜びをあらわにした。2009年に池田久美子がマークした日本記録を11cm塗り替えるとともに、ブダペスト世界選手権、パリ五輪の参加標準記録まで一気にクリアする大ジャンプだった。

 17年ぶりの日本記録となる歴史的な跳躍の手応えについて問うと、秦は「あんな気持ちいい跳躍はこの先出るのかな...」とやや苦笑いを浮かべながら、こう言葉を続ける。

「いま思い返してもうれしくもあり、ただ、あの跳躍から崩れてしまった部分もありました。その後の試合では『あの時だったらどうしただろう』という思考が出てきてしまって。『あの時はここがよかったから今回もこうしてみよう』というのがハマらない。それがわかったことは学びとしてプラスに捉えていますが、いい意味でも悪い意味でもけっこう後を引く日本記録だったのかなと思います」《つづく》

後編/「モデルジャンパーの肩書きはもう気にしない」》》

【プロフィール】秦澄美鈴(はた・すみれ)/1996年5月生まれ、大阪府出身。山本高(大阪)→武庫川女子大。小・中学校時代はバスケットボールをプレーし、高校から陸上競技を始める。当初は走高跳で頭角を現したが、大学入学以降、記録が伸び悩むと合わせて取り組んでいた走幅跳で成長。大学卒業後は走幅跳に専念すると、日本トップクラスへ駆け上がり、2019年に日本選手権で初優勝を果たすとその後も自己記録を伸ばしていく。2023年7月のアジア選手権では6m97を跳び、11年ぶりの日本記録更新を果たすと同時に2024年パリ五輪の参加標準記録を突破。世界陸上には2022年オレゴン、2023年ブダペストと2大会連続出を果たしている。

プロフィール

  • 荘司結有

    荘司結有 (しょうじ・ゆう)

    1995年生まれ、宮城県仙台市出身。早稲田大学競走部でマネージャーとして活動。新聞社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やスポーツとジェンダーの取材を中心に、社会課題やライフスタイル関係の媒体でも執筆中。

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