箱根駅伝2年連続シード落ちの東海大は復活なるか エースの「練習に誰もついてこない」発言からチームは変わりはじめた

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 長田洋平/アフロスポーツ

今シーズン順調な東海大のエース、石原翔太郎(4月の日本学生陸上個人選手権での様子)今シーズン順調な東海大のエース、石原翔太郎(4月の日本学生陸上個人選手権での様子)この記事に関連する写真を見る

 全日本大学駅伝予選会(6月17日・相模原ギオンスタジアム)で、東海大は総合3位で11月の本大会への出場権を獲得した。

 戦前、20チーム参加のなか、東海大は上位8名の10000mの持ちタイムでトップ。優位が予想されるなか、トップ通過ではなかったが、3位通過で両角速監督もホッとした表情を見せた。

 レースは、1組目から理想的な展開になった。

 喜早駿介(4年)は「20番ぐらいで戻ってくればいい。ラストだけ備えろ」と両角監督に言われて送り出されたが、持ち味のラストスパートを活かして6位。ルーキーの永本脩(1年)も集団であわてることなく走り続け、9位と好走した。目論見どおり10位内にしっかりと2人が入る上々のスタートだった。

 2組目は、水野龍志(3年)が日本人トップで2位の快走を見せ、南坂柚汰(1年)も6位と結果を出した。3組目は、昨年箱根駅伝予選会でチーム4位と好走した鈴木天智(2年)が14位、梶谷優斗(3年)が21位とまずまずの結果を残し、この時点で東海大は総合3位。ただ、4組目の2人を見れば、出場権をほぼ手中に収めたのも同然だった。

 4組目は、エースの石原翔太郎(4年)と花岡寿哉(2年)が出走。2人とも集団のなかで冷静に走り続け、石原は残り3000mからペースを上げて7位、体調不良で状態がよくなかった花岡も9位とまとめて、しっかりと結果を残して伊勢路行きを決めた。

 両角監督は、今回の結果について、こう語る。

「今回は、各組の選手のバランスがとれた感じでした。石原と花岡は、調子が特別よかったわけじゃないですけど、普通の状態をキープしていたので、この2人を4組目に持ってこられた。石原には『おさえていけ』と言ったんですが、それを忠実に守って走ってくれましたね。多分、調子がよかったらもっといっていたと思います(笑)。4組目が決まれば、あとは1、2、3組をどうするか、ですが、基本的には速い順に組み入れて、特に小細工したところはありません。スタートの喜早と永本がいい走りをしてくれたのが大きかったですね」

 メンバー編成では主将の越陽汰(3年)が体調不良で出走できず、関東インカレ5000m7位の五十嵐喬信(3年)、ケガをした竹割真(2年)を起用できなかったが、余裕をもって戦えた。

【好走の要因は円陣?!】

 レースが終わったあとの選手たちの表情も明るく、関東インカレの時よりもチームがさらに一段上がったような雰囲気だ。

 喜早は、その要因として「定期的なミーティングや練習前のかけ声を始め、コミュニケーションをとることでの成果が大きい」と言う。

「朝練習と午後練習の時、チーム全員が円になって、ひとりがひと言言うんです。たとえば今回で言えば、『今日は全日本の予選会です。走るのは8人ですけど、全員で戦うので全員でしっかり頑張っていきましょう。さぁーいこー!!』『おぉー』みたいな感じで、盛り上げてから練習に入るんです。こうした小さなところからですが、みんなでやることでチームの雰囲気がよくなったのかなと思います」

 この元気づけの練習スタイルは、主務の考案だという。

 ミーティングの回数も増えたようだ。水野は、「その効果が大きい」と言う。

「新チームになってからは週1で全体ミーティングをして、さらに学年ミーティングも話し合ってやっています。一人ひとりの発言が増えて、お互いを理解できるようになっているので、ここはすごく大きな変化だと思います」

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著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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