マラソン鈴木亜由子「むしろ惨敗して終わったほうが逆にスッキリするのに...」 東京五輪19位の経験を活かし、パリ五輪を狙う (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by JMPA

 しかしながら、東京五輪は新型コロナウイルスの世界的感染拡大の影響により、1年の延期が決定。2021年になってもウイルスの猛威は衰えず、こんな時に東京五輪をやるべきなのか。アスリートたちにも厳しい声が飛び交うようになった。

「そういう声やコロナ禍の影響に対して、私に限らず、東京五輪に出場する選手の多くが少なからず影響を受けたと思います。自分がどう競技に向き合えばいいのかという問題だけではなかったので。また、沿道からの応援って本当に力になると、初レースやMGCの時に実感していました。知り合いからの応援はもちろんのこと、沿道に駆けつけてくれた人たちの声や熱気などすべてが大きな力となっていました。沿道での応援が自粛された五輪は少し残念ではありましたが、それも全て受け入れてレースに臨むしかないと思っていました」

 2021年8月、東京五輪の女子マラソン当日、鈴木は「ちょっとした不安」を抱えてスタートラインに立っていた。

「リオ五輪の時、左足に痛みがあって10000mに出られなかったんです。それがあったので、今回はとにかく走れる状態でスタートラインに立つことが大前提としてありました。そのため、故障しないようにすることを重視するあまり、強度の高い練習など、質(スピード)については自分自身消極的になってしまっていました。監督は『亜由子はレース本番の集中力があるから大丈夫』と励ましてくれていたんですが、レースが近づくにつれ、不安になっている自分もいて......。もうちょっと練習に裏づけられた自信をもってスタートラインに立てていたらよかったのかなとあとになって思っていました」

 ケガなくスタートラインに立つことを意識するあまり、監督と鈴木の間には「安全にいく」という暗黙の了解のようなものがあり、それにそって練習メニューが立てられた。「慎重になりすぎた」と鈴木は語ったが、リオ五輪の失敗を活かすためには、慎重に進めていくのはある意味致し方ない部分ではあった。

 レース前日にスタート時間を1時間繰り上げるという発表がされ、午前6時にレースが始まった。序盤、鈴木はケニア勢など先頭集団の後方に位置し、自分のペースを維持した。15キロで少し離れるも18.8キロ地点で先頭集団の後方に追いついた。しかし、それから徐々に先頭集団から離れ、最終的に19位でフィニッシュした。

「前半はポジション取りが悪かったなぁって思いました。どっちつかずの位置で走ってしまい、もっとしっかり集団について走れたら同じ順位であっても納得できたと思います。レース後は自分の力を出しきれたのかどうかわからず、これならむしろ惨敗して終わったほうが逆にスッキリするのになって思いました。結局、アフリカ勢に一度も絡めず、勝負できないまま終わってしまった。自分を責める気持ちとモヤモヤした気持ちが消えず......なんだか、つらかったです」

 マラソンに挑戦して以来、勝つために研ぎ澄ませてきた体とメンタルは、疲労困憊に陥っていた。


後編に続く>>パリ五輪で狙う世界との真っ向勝負「最低でも日本記録を破る走力がないと戦えない」

PROFILE
鈴木亜由子(すずき・あゆこ)
1991年10月8日生まれ。愛知県出身。豊城中(愛知)、時習館高(愛知)、名古屋大学を経て2014年、日本郵政に所属。オリンピックは2016年リオ大会、2021年東京大会に出場。世界選手権は2015年北京大会、2017年ロンドン大会に出場。マラソンのベスト記録は2時間21分52秒(2023年3月名古屋ウィメンズマラソン)。

プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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