マラソン鈴木亜由子がパリ五輪で狙う世界との真っ向勝負「最低でも日本記録を破る走力がないと戦えない」
2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、女子選手たちへのインタビュー。パリ五輪出場のためには、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)で勝ち抜かなければならない。選手たちは、そのためにどのような対策をしているのか、またMGCやパリ五輪にかける思いについて聞いていく。
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パリ五輪を目指す、女子マラソン選手たち
~Road to PARIS~
第2回・鈴木亜由子(日本郵便)後編
前編を読む>>「むしろ惨敗して終わったほうが逆にスッキリするのに...」 東京五輪19位の経験を活かし、パリ五輪を狙う
鈴木亜由子(日本郵政)は、3月の名古屋ウィメンズマラソンで日本人トップの2位に入ったこの記事に関連する写真を見る 2021年8月7日、東京五輪女子マラソンのレースが行なわれ、鈴木亜由子は2時間33分14秒で19位という成績に終わった。
「レースはほとんどが自分のペースでいって、最後にちょっと順位を上げただけで終わってしまった。練習に裏づけられた自信が十分ではなかったので、それが本番にも出てしまった。やることをやってレースを終え、さぁ次に進めるぞって感じではなかったですね」
ずっとモヤモヤとした後悔の気持ちが消えなかったが、11月のクイーンズ駅伝に向けてチーム練習には合流していた。ただ、レース当日は自分が思っている以上に身体が動かなかった。レース後、「これは、ちょっと自分が思っている以上に崩れているなと......。心と体が一致していないと感じたので、監督とも相談して一旦チームからも走ることからも離れることにしました」
鈴木は名古屋の実家に戻った。旅行にも出かけたが、気持ちをリフレッシュさせるために楽しんだのが、ゴルフだった。
「高校時代の恩師の腕前がプロ並みなんで、イチから教えていただいたんです。もう、心を開放するために毎日ボールを打っていました(笑)。ゴルフってもう少し簡単にできるもんだと思っていたんですが、ほんと難しくて、ちょっとナメてました(苦笑)」
ゆったりとした時を過ごすなかで、徐々に気持ちが前向きになることを感じていた。
「この頃は、ただ時間が必要だったんだと思います。リオ五輪、MGC、そして東京五輪の1年延期があったなか、ずっと張りつめてやってきたので、やっぱりかなり疲れていたんですね。(日本郵政の髙橋昌彦)監督も高校時代の恩師も『知らない間に心身が疲労してしまっているから休んでいいんだぞ』って言ってくださって。休んでいいんだ、休むことは悪じゃないんだって思って、心置きなく休めたことで走る活力みたいなものが徐々に湧いてきたんです」
そして2カ月後、元気を取り戻した鈴木はチームに合流した。特に明確な目標を定めず、月1本ぐらいのペースでレースに出ていくぐらいの感じで、鈴木は再び走り始めた。
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著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。