マラソン鈴木亜由子「むしろ惨敗して終わったほうが逆にスッキリするのに...」 東京五輪19位の経験を活かし、パリ五輪を狙う (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by JMPA

 最初のレースは、2018年8月の北海道マラソンだった。フルマラソンを走る場合、一般的にはタイムが出にくい夏のマラソンを選択しない傾向にあるが、鈴木はあえて北海道マラソンを選択した。

「MGCを見据えてというところが一番大きいのですが、私は夏の暑さに強いほうなんです。だから、冬のレースよりも確実にMGC(2019年)の出場権を得られるんじゃないかなと思いましたし、夏よりも冬のほうがケガをすることが多かったので、それならケガのリスクが少ないほうがいいと思って北海道マラソンを走ることに決めました」

 暑いなか、鈴木は32キロ地点から独走し、圧倒的な強さを見せて2時間28分32秒で優勝、MGC出場権を獲得した。

「初レースだったので、失敗しないように途中までペースメーカーについていって、力を温存していました。安全に走ったレースだったので、後半までしっかり脚が動いていました」

 トラックのオリンピアンである鈴木が初マラソンで初優勝し、そしてMGC出場権獲得をしたインパクトは大きく、マラソン選手としての鈴木への期待は一気に高まった。鈴木のトラックや駅伝でのスピードを知るマラソン選手や指導者たちは、きっと戦々恐々としていたに違いない。実際、MGCまでに鈴木は、暑さへの強さ、スピード、粘り強さからも優勝候補の一角に挙げられていた。

 そして2019年9月、MGCのスタートラインに立った。

「緊張しましたね。出場者が10名という小人数でしたし、一発で代表が決まるというのは、これまでにないマラソン代表の決め方でしたから。しかも、自分は人生2回目のマラソン。トラックだとメンバーを見たり、自分の調子で展開とかも多少予測はできるんですが、マラソンについてはとにかく経験が浅い。そういうことも緊張を増幅させる要因になっていました」

 レースはハイぺースで進んだ。

 鈴木は、18キロ地点からリードする前田穂南(天満屋)を追いかけたが20キロ過ぎには離されてしまった。その後は単独走が続き、体力がどんどん消耗されていくのを感じるなか、40キロ過ぎにうしろから誰かが追ってくる気配を感じた。

「前半はちょっと速かったんですが、そのままいけるかなとも思い、怖いもの知らずで前田さんにつきました。しかし20キロあたりでこのままついていったらきついなと感じ、ペースを落とし、後半勝負を考えました。ところが、先頭の前田さんからはどんどん離されるばかり。単独走が続くなか、30キロ過ぎの皇居の折り返しで後続を確認すると、3位の小原怜さん(天満屋)が20秒差ぐらいにいることが確認できました。

 ラスト2キロはもうめちゃくちゃきつかったですね。余力がないので、なんとか耐え忍ぶというか......ここで一瞬でも気を抜いたら脚が止まるのがわかっていたので、我慢するしかなかった。本当にこれまでの競技人生で一番きついレースでした」

 鈴木は粘って2位でフィニッシュし、東京五輪女子マラソン日本代表の座を射止めた。自身では、2大会連続での五輪出場、そして初のマラソン日本代表に決まった。

「ただただ苦しかったので、喜びよりも安堵のほうが大きかったですね」

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