五輪挑戦3回失敗で引退覚悟→マラソン挑戦 「乗り気じゃなかった」競技で鎧坂哲哉がパリ五輪を目指す理由 (2ページ目)
【マラソンに挑戦するきっかけになった出来事】
今後について考えていくなか、いろんな人に会い、その度に「マラソンに向いているよね」と言われた。学生時代から長距離が苦手で、箱根の20キロさえ大変だと思っていたのに、その倍の42キロを走ることはあまり想像できなかった。
「正直、マラソンはあまり乗り気じゃなかったんです」
そんななか、鎧坂の考えを変えるきっかけとなる出来事があった。2018年10月のシカゴマラソンに向けての大迫傑(ナイキ)の合宿に、練習パートナーとして参加したのだ。
「大迫がマラソンに向けて100%の練習をしているのを間近で見て、こういう練習をしたらこういう結果(2時間5分50秒・当時日本記録更新)が出るんだっていうのを見せてもらった。その時、すごく刺激をもらって、自分も1回ぐらい本気でマラソンに挑戦してもいいんじゃないかと思ったんです。身近に世界と戦うマラソンランナーの練習を見て、いろいろ感じることができたのは、自分がマラソンに踏み出す意味で大きな一歩になったかなと思います」
鎧坂は、その後も東京マラソン(2019年)やMGC(マラソングランドチャンピオンシップ・2019年)の前など大迫のマラソン合宿に練習パートナーとして参加した。
ここまでやらないと世界と戦えない。
大迫の横にいることで世界基準が明確になった。だが、その練習は鎧坂でさえ、同じことはできないという苛酷なものだった。それを理解しながらもマラソンを走る覚悟を決めたわけだが、一体何がそうさせたのだろうか。
「自分もマラソンを1本、本気でチャレンジしてみようと決めた時、どうせ走るなら勝ちたいと思ったんです。その時、相談したのがコーチの川嶋(伸次)さんでした。大迫と同じ練習が100%できないかもしれないが、同じようなことができればいいかなと思い、川嶋さんにメニューを見せたんです。川嶋さんは世陸やシドニー五輪出場などマラソンで結果を出していたので、そのコーチが『このメニューで大丈夫』と言ってくださった。マラソンの練習に集中できる環境が整ったのが、マラソンに挑戦するにあたり、すごく大きかったです」
2018年、メルボルンマラソンに出場したが、本格的にマラソンに向けて始動したのは、2021年9月だった。東京五輪が終わり、どのレースをターゲットにするのか、川嶋コーチと話をした。
「東京マラソンは今の自分の能力がわからないし、出場する選手によっては2時間3分台もあり得る。優勝を狙った場合、いきなり自分が2時間3分台を出せるとは思わない。現実的に2時間8分ぐらいで優勝争いができる身の丈に合ったレースを走ろう。タイムよりは勝負を優先しようということで、2022年2月の別大(別府大分毎日マラソン)に決めました」
別大マラソンは身の丈に合ったレースということだが、もう少し言葉を紐解いていくと鎧坂のレースに対するポリシーが読み取れる。
「競技者として、上のレベルや順位で走らないとおもしろくないんですよ。マラソンで自己ベストを狙うために第2、第3集団について、『2時間7分55秒が50秒になりました。でも、20番です』では、うーんってなっちゃうんです。でも、2時間8分台でも優勝したら『やったー』ってなるじゃないですか。僕はトラックでそういう思いができなかった。マラソンでは記録を狙う時はちゃんと狙いにいきますし、勝負レースではちゃんと勝負したい。ただ、基本的に上位で争っていないとおもしろくないので、自分の力を発揮できる大会を選んで戦っていくスタンスはこれからも変わらないですね」
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