箱根駅伝4度出場の西山雄介が大事にしている駒澤大・大八木監督からの教え。「実業団に入ってから考えるんじゃ遅い」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by日刊スポーツ/アフロ

【箱根駅伝や駒澤大時代に得たもの】 

 西山は、最後の箱根を含めて1年時から4年まで全11本の駅伝を走った。出雲は3年時、5区区間賞を獲得、全日本は2年時に6区2位、箱根は2年時7区2位が最高位だった。区間二桁は3年時の全日本3区10位のみで、西山が「外さない選手」と言われているのは、駅伝での強さから生じていると言えよう。

 箱根を含めて、駅伝での経験はその後の陸上人生にどのように活かされたのだろうか。

「箱根に限らずですけど、それぞれの駅伝やトラックのレースも含めた大会を経験できたこと、それに至るプロセスを得られたことが自分の財産になっています。やっぱり大会に合わせて練習を進め、コンディションを合わせていくのは簡単ではない。そのプロセスを何度も経験できたことが今の自分の陸上につながっています。箱根で言えば、ハーフの距離の練習ができたのは実業団に行ってマラソンに移行する際の下地作りになったので、それを経験できたことはよかったです」

 駒澤大時代、駅伝などの実戦経験から得るものが大きかったが、実業団での競技生活に今も活きている大事なことは大八木監督から学んだ。

「"自分の体を知り、状態を把握しろ"というのは大八木監督から口酸っぱく言われました。たとえばこういう練習をしたら、こういうダメージが残る、そのダメージを抜くためにはどうすべきか。あえて負荷をかけて抜いていくとか、常に考えながら練習をしなさいということです」

 大学時代は、出された練習メニューをこなすだけでいいと思考を停止させ、それをただ飲み込んでいくスタイルの選手が多い。だが、実業団では手取り足取り教えてくれるわけではない。全体のメニュープラス、自分で考えていかないと自己の成長は成り立たなくなる。

「実業団に入ってから考えるんじゃ遅いと思うんです。自分は大学の時に、考えて練習することを習慣づけられたので、実業団に行っても戸惑うことはなかった。実業団に入ってからは、より細かくなりましたね。レースなどで悪かった時はもちろん、よかった時もなぜよかったのか、追及し、分析するようになりました。その原点になったのが、大八木監督に言われた "自分の体を知る"ということだったんです」

 西山にとって、箱根の実戦経験と同様に、実業団で生きていくためのスキルを学べたことが収穫になった。それが今、西山の最大の武器になっている。

後編に続く>>「テレビで見るだけではわからない」と痛感した世界との差

【筆者プロフィール】佐藤 俊(さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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