マラソン西山雄介が「テレビで見るだけではわからない」と痛感した世界との差「100mごとにペースの変化がありました」

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 長田洋平/アフロスポーツ

2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。

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パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
~HAKONE to PARIS~
第11回・西山雄介(駒澤大―トヨタ自動車)後編
前編を読む>>大事にしている駒澤大・大八木監督からの教え

2022年のオレゴン世界選手権では13位に終わった西山雄介2022年のオレゴン世界選手権では13位に終わった西山雄介この記事に関連する写真を見る 駒澤大では4年間、全11レースの駅伝に出場し、主力として活躍した西山雄介。早くからその走力は、実業団から高い評価を受け、多くのチームから獲得のオファーが届いた。

 そのなかで、西山が選んだのは、トヨタ自動車だった。

「自分の陸上人生においては、実業団は最後のステージになるわけですが、大学を卒業する際、力がまだまだ足りないというのを自覚していました。力をつけていくためには、自分を追いこんでいく必要がある。一番厳しくて、すぐに戦力外になるようなチームに身を置きたい。そのくらい自分が本気になって取り組めるのは、どこか。それがトヨタだったんです」

 2017年4月、西山はトヨタ自動車に入社した。

 駒澤大の同期で友人でもある大塚祥平(九電工)は卒業後、すぐにマラソンに取り組み始めたが、西山が初マラソンに挑戦したのは、入社して5年が経過しようという時だった。

「大塚は、卒業してすぐにマラソンを始めて活躍していたので、すごいなぁと思っていました。自分も負けていられないなという気持ちがありましたが、自分の取り組みにブレちゃいけないというのがあったんです。自分のなかでマラソンは5年目から、もしくは1万mで27分台を出してからというのを決めていました。周囲の先輩方からもマラソンをするならしっかり準備をしてから取り組むようにと言われていたので、マラソンを始めるのにラインを引いてやっていたんです」

 西山は、2020年10月、中部実業団選手権の1万mで、27分56秒を出し、21年から本格的にマラソンに取り組んだ。2022年2月6日、別府大分毎日マラソンで初めてマラソンに挑戦。レースは、35キロ過ぎに飛び出した古賀淳紫(安川電機)を39キロ地点で捉えると、そのまま後続を引き離した。2020年にハムザ・サリ(モロッコ)が作った2時間8分1秒の大会記録を更新し、2時間7分47秒の大会新記録で優勝した。

「1発目のレースだったので、経験はないですが、逆に失敗のイメージもなかったので、走れるイメージしか湧かなかったですね(笑)。目標は当時の初マラソン日本記録を設定したのですが、結果的に5秒足りなかった。でも、しっかりと走れたので取り組みは間違っていなかったと自信を持てました。初マラソンで優勝はうれしかったのですが、完璧なレースというわけではなかったので、改善の余地がありました。表彰式が終わった時から、もっと上を目指さないといけない、そういう気持ちになれたのがすごくよかったですね」

 この結果で西山は、オレゴン世界選手権、マラソン男子代表の座を勝ちとった。昨年7月、世界の強豪が集まるなか、設定した目標は8位入賞だった。2回目のマラソンだが、西山にはそれを可能にするだけの練習を積み、取り組んできた自負があった。

 だが、世界は想像以上に強かった。

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